20年ぶりの再会です。若い頃の職場の先輩2人、後輩1人と昼食をとりながら、話が弾み3時間近くも、それでも話題は尽きず、なごり惜しい気持ちのまま散会しました。3人は関西在住、関東在住の私が会える機会は、いままでも、そしてこれからもほとんどありません。それだけに濃縮された時間だった気がします。
別れる少し前になって、もう会えないかもしれんなぁ、とか、次に会えるのは俺の葬式のときかなぁ、そのときは遺影の後ろから見てるよ、といった弱気含みの冗談が飛び出しています。亡くなったり、病気がちだったりのかつての同僚の話も出ていて、自分の歳をあらためて考えさせられるひとときでもありました。
長時間の昼食会、かなりの時間を私がしゃべっていたように思います。京都までの歩き旅のことを得意げに話すと、スゴイを連発してくれて、面白げに話すと、大笑いしてくれて、調子に乗って、アメリカでの生活のことや、いまの個人事務所のことなどを話すと、それもしっかり受け止めてくれて、私の気分は最高、楽しさで溢れました。後になって思うと、それは先輩が後輩を暖かく見守る姿だった、そんな気がします。こんな歳になっても、若い頃の関係のままで応援してくれたようで、とても嬉しい気持になりました。私の性格もよく分かっていて、飾ったり、背伸びしたり、緊張したりすることなく、いまのこと、昔のことを自在に、思うままに話ができました。先輩2人ともが、昔と変わらないね、と言ってくれました。若い頃から前向き、いまも前向き、そんなところを見てくれたのでしょうか。まあ、進歩してない、という意味もあるのかもしれませんが。
この再会は今月28日、滋賀県の草津にある持家が売れ、その引渡しのために出かけたときでした。家を買ったのは23年前、勤務地が京都から草津となり、仕事の忙しさに加えて、自転車通勤から電車通勤となってしまったので、歩いて通えるところに新築マンションを購入したのです。その後の横浜転勤のため、住んだのは2年間たらずでしたが、居住性の良さ、駅直結の便利さ、比叡山や琵琶湖を臨む眺望の良さなどで満足できる住まいでした。マンションは初めてでしたが、その快適さに、それ以降国内での住居はマンションとしています。
関東に移って20年、持家を関西から関東に移したい、と以前から考えていました。今回、縁があって売れることとなり、その思いが一歩前進しています。引渡しが無事終了して、新幹線で帰る車中、大きな入金金額が記帳された預金通帳を眺めて、重い荷物を降ろしたような、とても軽やかな気分を味わいました。関西に住んでいたのもやはり20年ほど、そこの持ち家が無くなる寂しさはありますが、その間に一緒に働いた仲間はまだまだ健在で、会えば楽しい時間となります。家はなくなったけど、仲間が残っている、それで十分でしょう。