友人

No.034:校歌

 気がつくと校歌を口すさんでいる、そんな日が続きました。卒業してから30年間歌った覚えはなく、在学中もあまり歌わなかった校歌、久しぶりに母校を訪問した先日以降のことです。

 母校の新校舎で卒業生の集いがあり、校歌斉唱があったのですが、歌詞をみても全く歌えませんでした。1片たりとも覚えていないなんて、とショックを受け、その日いただいたCDを帰宅後に1回だけ聴きました。驚いたことに、それだけで全くよどみなく歌えるようになったのです。30年前と全く同様に。人の記憶というものはすごい、と自分のことながらびっくりしています。

 約70年ほど前に北原白秋が作詞し、山田耕筰が作曲したこの曲、あらためて聴いてみるとなかなかの味です。わたしが4年間学んだ校舎の前身を詠んでいるだけに親近感があり、イメージも膨らみます。

 

  朝日に輝く 風と潮(うしお)

  雄大、空あり、雲は移る

  仰げよ校旗の 翩翻(へんぽん)たるを

  白亜の殿堂ここに聳(そび)え

  われらが工学、英気鐘(あつ)む

 

校歌
創立当時の母校

 創立が1927年、当時の写真がCDに付いていました。校舎は東京・山手線田町駅の海側徒歩2,3分のところ、江戸時代、山手線位置まで海だったといいますから、明治以降に埋め立てられた土地で、海は間近だったにちがいありません。輝く朝日の中、校旗が潮風で翩翻(へんぽん)と翻(ひるがえ)っている白亜の殿堂はモダンな3階建、周りには高い建物はなかったでしょうから空はどこまでも広く大きく、そこに聳(そび)えるわが校舎には優れた気質、英気を持つ若者たちが集まってくる、工学を学びに。そんなことを想像しながら小声で、ハミングで校歌を歌います。作詞したとき北原白秋は病闘生活中でした。ですから、彼が心の中で見た風景をわたしが想像しているだけかもしれません。

 とても楽しい気分です。それは、学生時代に歌っていた気分とは違います。学生時代には、歌詞の意味など考えず、どちらかというと緊張し高揚して歌っていたような気がします。リラックスして楽しんでいるいまが余裕なのでしょうか。若いころは次から次へと楽しいことがあり、校歌などを楽しんでいる暇はなかったということかもしれません。いまはこんなささいなことが喜びになる、そんな静かなときなのでしょう。

 学生時代に友人5人で1週間ほど北陸旅行をしました。そのときの写真を、先日の卒業生の集いに持ってきた友人がいます。みんなも見たいにちがいないと考えたのでしょう。各自の親戚の家などを転々とした貧乏旅行でしたが、それはそれは楽しい旅行でした。毎日の食費もかなり切り詰め、途中で会社訪問した際にお寿司を振舞われて5人とも大興奮したのを覚えています。何をやっても楽しかった時期だったのかもしれません。その5人のうちの4人が定年後の遊び仲間です。でも集まっての楽しみ方は昔とは違います。やはり余裕でしょうか、1カ所をじっくり見学し、お風呂に入ってから食事を楽しむ、一つひとつをゆっくり楽しむのです。

 余裕のある静かな生活となればそれなりの楽しみがある、老いとともに若いころには味わえなかった楽しみが見出せる、そんな気がします。そして、それはいままでコツコツと積み重ねてきた人生経験の厚みがあるからこそ、だとも思うのです。これからも楽しみの経験を積み重ね、それがまた新たな楽しみを生みだす、老いとともに楽しみは尽きない、と願いたいものです。

の記事

No.212:LINEグループ (2024年09月30日)

 LINEグループが便利です。中・高校同期と大学同期の2つのLINEグループがあり、日常的に話をしています。たわいもない話ですが、それぞれの暮らしの断片が見えたりして、参考になるときもあります。話題に無理に入る必要はなく、聴くだけのときもあり、逆に、言うだけで反応のないときもあり、どちらも、気心の知れた数人の仲間なので気楽に楽しんでいます。

No.210:友人が帯状疱疹になりました (2024年07月31日)

 先月、友人から「顔の右半分に何ヶ所か疱疹ができておりこれがかなり痛い」とのLINE報告、受診したとき「帯状疱疹ですか?」と訊ねると、「いえ、単純疱疹です」と明言されたとのこと。でも、1ヶ月経っても治まらないので別の病院で診てもらったら、「帯状疱疹です。いまからでは薬の効果はないので、自然治癒を待つしかありません」と言われたそうです。最短であと1ヶ月はかかるとも。

No.209:「ありがとう 秀吉さん」の長浜 (2024年06月30日)

 今月は長浜へ、秀吉が初めて一国一城の主となり、城を造り、城下町を作りました。周辺から商人を集め、楽市楽座などの施策で町の経済を発展させた秀吉は、町衆に慕われ続けていたようです。天下人となって作った城下町、大阪の原点とも言える町なのでしょう。

No.206:日本海に蟹を食べに行きました (2024年03月31日)

 「(福井県の)小浜に蟹を食べに行くけど・・・(行かないか?)」と京都在住の友人からメールが届きました。京都に住んでいた若いころ、日本海での蟹といえば、蟹、蟹、蟹の蟹尽くしのイメージがあって、しかも、今回のメンバー5人全員が会社の元同僚で、内2人は私と同じ大学、これは行かなくては、と即決しました。

No.201:14回目の会社同期会 (2023年10月31日)

 同期入社を中心とした、かつての遊び仲間が岐阜・下呂温泉に集まりました。関西在住6名、関東在住6名の12名のうち、今回は8名、同伴奥さん4名で計12名の参加でした。会社在籍中から家族ぐるみでの付き合いです。

No.200:恐山と奥入瀬渓流 (2023年09月30日)

 友人夫妻との旅行、今回は恐山と奥入瀬渓流でした。我々夫婦だと電車、バス、徒歩での旅行なので、車を運転する友人との旅行は、車でしか行けないところ、あるいは車でないと便が悪いところ、となります。今回は、新幹線と在来線で下北半島のむつ市に、そこからレンタカーで、霊場恐山、本州最北端大間崎、下風呂温泉、車で南下して、ミシュラン・グリーンガイド二つ星の奥入瀬渓流、カルデラ湖の十和田湖、田沢湖近くの国見温泉、そして盛岡から新幹線で東京、という行程でした。

No.196:伊豆大島G7 (2023年05月31日)

 今月、伊豆大島にG(爺)7が集結しました。大学同期の部活仲間7人、島を観光し、椿油での贅沢なフォンデュをいただき、濃厚な大島牛乳やそのアイスを味わい、夜の勉強会では2人の真剣な議論を子守歌に4人が眠りに陥りました。昨年11月の新潟県松之山温泉での53年ぶりの合宿、その楽しさがまたまた再現されたのです。

No.190:53年ぶりの合宿 (2022年11月30日)

 大学同期の部活仲間との53年ぶりの宿泊旅行です。卒業後はほとんど会うことがありませんでしたが、定年間近になってから数カ月に1回程度会うようになりました。そのころ始めたこのブログ、名前「リタイア間近組」はこの仲間のことです。コロナ禍では、オンラインでの飲み会を毎月のように開催していました。3年ぶりのリアル飲み会、しかも泊り、です。

No.161:会社仲間とのオンライン飲み会 (2020年06月30日)

「この中で、誰が一番早く(10万円の特別給付金を)受け取るか、楽しみだ」、行政の効率の悪さ、IT化の遅れをみんなで嘆いていたときの一言です。会社仲間とのオンライン飲み会でのこと。毎週金曜日、夜6時から10時頃までの4時間ほど、いろいろな...

No.159:オンライン飲み会 (2020年04月30日)

 人から人に感染する新型コロナウイルス、無症状の感染者がいるので、自分も含めて、人はコロナ、だと思っての行動が必要です。このため、日々のウォーキングで人と1m以内ですれ違うときは息を止めています。数秒で、ソーシャルディスタンスの2mは確実に離れます。ジョギングしている人のときはもう少し長く息を止め、かつ道の反対側に移動します。


タイトルとURLをコピーしました