気がつくと校歌を口すさんでいる、そんな日が続きました。卒業してから30年間歌った覚えはなく、在学中もあまり歌わなかった校歌、久しぶりに母校を訪問した先日以降のことです。
母校の新校舎で卒業生の集いがあり、校歌斉唱があったのですが、歌詞をみても全く歌えませんでした。1片たりとも覚えていないなんて、とショックを受け、その日いただいたCDを帰宅後に1回だけ聴きました。驚いたことに、それだけで全くよどみなく歌えるようになったのです。30年前と全く同様に。人の記憶というものはすごい、と自分のことながらびっくりしています。
約70年ほど前に北原白秋が作詞し、山田耕筰が作曲したこの曲、あらためて聴いてみるとなかなかの味です。わたしが4年間学んだ校舎の前身を詠んでいるだけに親近感があり、イメージも膨らみます。
朝日に輝く 風と潮(うしお)
雄大、空あり、雲は移る
仰げよ校旗の 翩翻(へんぽん)たるを
白亜の殿堂ここに聳(そび)え
われらが工学、英気鐘(あつ)む
創立が1927年、当時の写真がCDに付いていました。校舎は東京・山手線田町駅の海側徒歩2,3分のところ、江戸時代、山手線位置まで海だったといいますから、明治以降に埋め立てられた土地で、海は間近だったにちがいありません。輝く朝日の中、校旗が潮風で翩翻(へんぽん)と翻(ひるがえ)っている白亜の殿堂はモダンな3階建、周りには高い建物はなかったでしょうから空はどこまでも広く大きく、そこに聳(そび)えるわが校舎には優れた気質、英気を持つ若者たちが集まってくる、工学を学びに。そんなことを想像しながら小声で、ハミングで校歌を歌います。作詞したとき北原白秋は病闘生活中でした。ですから、彼が心の中で見た風景をわたしが想像しているだけかもしれません。
とても楽しい気分です。それは、学生時代に歌っていた気分とは違います。学生時代には、歌詞の意味など考えず、どちらかというと緊張し高揚して歌っていたような気がします。リラックスして楽しんでいるいまが余裕なのでしょうか。若いころは次から次へと楽しいことがあり、校歌などを楽しんでいる暇はなかったということかもしれません。いまはこんなささいなことが喜びになる、そんな静かなときなのでしょう。
学生時代に友人5人で1週間ほど北陸旅行をしました。そのときの写真を、先日の卒業生の集いに持ってきた友人がいます。みんなも見たいにちがいないと考えたのでしょう。各自の親戚の家などを転々とした貧乏旅行でしたが、それはそれは楽しい旅行でした。毎日の食費もかなり切り詰め、途中で会社訪問した際にお寿司を振舞われて5人とも大興奮したのを覚えています。何をやっても楽しかった時期だったのかもしれません。その5人のうちの4人が定年後の遊び仲間です。でも集まっての楽しみ方は昔とは違います。やはり余裕でしょうか、1カ所をじっくり見学し、お風呂に入ってから食事を楽しむ、一つひとつをゆっくり楽しむのです。
余裕のある静かな生活となればそれなりの楽しみがある、老いとともに若いころには味わえなかった楽しみが見出せる、そんな気がします。そして、それはいままでコツコツと積み重ねてきた人生経験の厚みがあるからこそ、だとも思うのです。これからも楽しみの経験を積み重ね、それがまた新たな楽しみを生みだす、老いとともに楽しみは尽きない、と願いたいものです。