今年もカルガモが生まれました。12匹のカルガモっ子たちが、わたしの散歩コースにある遊歩道沿いの川で元気に泳ぎ回っています。わき目もふらずにひたすら歩くわたしでも、さすがに足が止まります。小さなカルガモたちが、一直線になって進む姿や、団子になって寝る姿は実に愛くるしく、見ていて飽きません。遊歩道を行きかうほとんどの人は立ち止まり、見守っています。
初めて見たときです。近くに大人のカルガモが2羽いました。つがいのようです。例年であれば、子どもを見守る親は1羽、それはメスらしく、オスの姿はありません。2羽に違和感を感じてながめていたとき、1羽がカルガモっ子たちを突然攻撃し始めました。見ていた人たちから、「あれは親じゃないんだ」「子どもたちはベランダで生まれ、親は帰ってこないんだ」「かわいそうに」という声がきこえてきました。親無しっ子なのです。
さほど執拗な攻撃ではなく、自分たちの領域に入ってきた親無しっ子たちへの威嚇のようですが、逃げ惑う小さなカルガモを見ると可哀そうで、大きなカルガモ憎しの感情が湧き起こってきます。それまでそのカルガモが占領して子どもたちを寄せつけなかった岩場に、2羽の子どもが隙をみて這い上がると、まわりの人たちから拍手がおきました。まるで、時代劇の弱い良民と強い悪代官を観ている気分です。帰りにこの場所を通ったときは、2羽の憎たらしい悪代官がいるだけで、12羽の可哀そうな良民の姿はありませんでした。
その数日後、カルガモっ子たちの元気な姿がありました。親はなくても子は育つ、みんなで岸についている何かを懸命に突いています。2羽の大きなカルガモもあきらめたのか威嚇はしません。逆に子どもたちが集団で後を追うと、わたしはおまえらの親じゃない、といわんばかりに逃げるように飛び立ってしまいます。カルガモっ子たちたくましく生きてるな、とほっとした気分で数を数えると11羽しかいません。他の人からも「1羽いない!」という声がきこえます。
翌日も11羽でした。しかも1羽は右足をだらりと投げ出したまま、左足だけで、みんなから遅れながらも懸命に泳いでいます。何かに攻撃されたのかもしれません。見守る親のない子鴨たちの厳しい現実です。
その後、このカルガモっ子グループに別の親無しっ子たちが合流しました。一緒にいた親が3匹だけを連れて道向こうに行ったまま帰ってこないとのこと、親無しっ子どうしで生きていこうとしているようです。いつもの岩場は超満員となりました。
数日後、岩場にブロックが置かれて広くなりました。おまけに、はい上がりやすいように、足場となる石が横に置かれています。無事に育ってほしい、と願いつつ川のなかにブロックや石を運んだのでしょう。とても嬉しくなりました。けなげなカルガモっ子たちとそれを暖かく見守る人びと、散歩で出会ったちょっとしたドラマです。