東海道歩き旅

No.012:江戸時代の旅体験-自宅から静岡-

 江戸時代の旅は毎日9里前後を歩く、これを体験しようと自宅から静岡までの43里弱を4日で歩きました。毎日10里強の42kmです。朝3時半ごろ起きて、歩いて、昼3時半ごろ宿に入り、夕方5時ごろ夕食をとり、夜8時には寝るといった日々のペースが、歩く距離から自然とできあがります。

 同様の移動距離だった江戸時代もこのペースに近いものだったにちがいありません。移動することが主目的で、何も考えずにただひたすら歩けばよい道中は、それはそれで気楽で楽しいものでした。駅の場所や電車時間、あるいは道路の交通事情や駐車事情に惑わされることのない、のんびりとしたマイペースの旅で、江戸時代気分を味わうことができました。

*毎日の歩行距離は、歩いた軌跡を自動記録する携帯電話によるGPSトレース実測値です。下図赤線はGPSトレース結果で、結果ファイルから自動作成されました。

地図
自宅から静岡までの4日間の行程で、マーク間が1日の行程です。<詳細地図を見る>


1日目:自宅から茅ヶ崎 歩行距離:43.8km 4月19日(日)5時8分発-15時1分着(9時間53分)

高校時計台
町内のランドマーク、学校時計台の前から出発。<写真を拡大>

 江戸時代であれば神社などで旅の無事をお祈りしてからの出発ということでしょうが、そこははしょって、我が町内のランドマーク、学校時計台を仰ぎ見ながらの出発としました。自宅近くを通る中原街道(45号線)を、1日目の宿泊地茅ヶ崎までひたすら歩きます。

 自宅を5時に出てしばらくは中原街道の交通量も少なく快適に歩いていましたが、7時過ぎぐらいから混み始め排気ガスが気になりだします。川崎北部で、幹線道路が交差する周辺、それも地形がやや低い所で小学生喘息罹患率が急増(No.021:川崎での生活)しており、排気ガスが原因と私は考えています。中原街道や国道1号線といった幹線道路を歩くので排気ガスから逃れるのは難しく、そんな心配なしに幹線道路を歩けた江戸時代を羨ましく思いながらの歩きとなりました。

鎮守の森
鎮守の森で休憩<写真を拡大>

 厚木基地を過ぎ、東海道新幹線を渡るころに昼食どきとなり距離も30kmを超えました。思ったほどの疲れもなく、残りの約10kmも十分いける気分です。近くに神社を見つけて、すでに買ってあったコンビニ弁当をいただきました。あと10km、2時間ほど歩けば宿となるので、1日40kmへの初めてのチャレンジで緊張していた気持ちがとても楽になり、リラックスした昼食、休憩となりました。木立に囲まれた、村の鎮守様といった感じの神社に人影はなく、屋根の下の涼しいベンチでのんびりと午後を過ごした至福の時でした。

高校時計台
昭和初期に建てられた旅館に宿泊、写真右下の小さなリュックが今回の旅の荷物。<写真を拡大>

 昼食・休憩に1時間以上とってから歩きはじめ、午後3時ごろ茅ヶ崎の宿に到着し、4時半ごろ夕食をとって、お風呂に入り、7時ごろ寝ました。排気ガスをできるだけ避けるために、翌朝は4時出発にしようと早めに寝たのです。江戸時代の旅の出発は「お江戸日本橋七つ立ち」とあるように七つ時、この季節であれば午前3時ごろとなりますが、それではさすがに早すぎます。それにしても、ぼんやり明るくなる明け六つまで、この季節で4時40分ごろまで、1時間40分もの間、月や星の明かりだけを頼りに歩いたのでしょうか。ちなみに、江戸時代の旅先での就寝時間は、早ければ日が暮れて暗くなった暮れ六つごろ、この季節で18時50分ごろ、だったでしょうから、この日の夜7時就寝は江戸時代相当ということになりそうです。


2日目:茅ヶ崎から芦ノ湖・元箱根 歩行距離:45.5km 4月20日(月)3時53分発-17時27分着(13時間34分)

高麗山
街道脇の高麗山<写真を拡大>

 朝4時前に茅ヶ崎の宿を発って、茅ヶ崎駅の24時間マックで朝食を買いこんで、まだ交通量の少ない1号線を箱根に向かいます。平塚をすぎて大磯にさしかかると右手に小高い山が見えてきました。高麗山です。岡とも言えそうな小さな山で、緑に覆われた、町を見守るような優しい姿からは親近感や安心感が感じられます。道中で最初に間近に見る山だからこその好意的な印象かもしれませんが、江戸時代の旅人もきっとそんな好意をもって優しい山並みを見つめたことでしょう。

 大磯から小田原までは海岸沿いの道なのですが家々が建ち並び海はほとんど見えません。国府津あたりで一瞬家が途切れ海が迫っている場所があり、初めての間近に見る海となりました。街道まで海がもっと迫っていた江戸時代は、どこまでも続く海を横に見ながら、潮風をあびての気持ちよい道中だったことでしょう。小田原をすぎて箱根湯本近くになると、川の流れが早くなり、箱根の山々が立ちはだかってきます。いよいよ箱根越えとなります。

橿木(かしのき)坂付近
橿木(かしのき)坂付近の眺望<写真を拡大>

 箱根では、「東海道名所日記」で道中一番の難所とされ、「くるしくて、どんぐりほどの涙こぼる」と言われた橿木(かしのき)坂などを含む多くの嶮しい坂を登り、自然石を敷き詰めた歩きにくい江戸時代の道を歩きました。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とありますが、馬もかなり難儀したことでしょう。登りきって芦ノ湖が見えた時の喜びと安堵感はひとしおでした。


3日目:芦ノ湖・元箱根から富士・吉原 歩行距離:43.3km 4月21日(火)4時25分発-13時17分着(8時間52分)

芦ノ湖
夜明け前の芦ノ湖<写真を拡大>

 朝4時過ぎに元箱根の宿を発ち、富士・吉原に向かいます。夜明けどき、峠から見下ろす芦ノ湖はとても幻想的でした。峠を越えると三島まで延々と下り坂が続きます。ときどき三島市街が見え、見えるたびにほんのわずかだけ近づいているという、約20km、4時間に及ぶ下り坂です。しかし、その先にはまたまた単調な道中が待っていました。

富士のすそ野
富士のすそ野を見ながら<写真を拡大>

 三島から沼津を過ぎると富士までの10kmあまりコンビニやファミレスなどは一軒もありません。曇りで富士山は雲のなか、富士のすそ野だけを右手遠くに見ながら、それがごくわずかづつ後ろに移動する単調な道中、1号線を渡る歩道橋が遠くに見えると、何かあるかも、との期待が湧き起こり、近くにいってからなにもないことがわかるとがっかりする、そんな歩きとなりました。1号線ではなく、その南を通る東海道を通ればよかったのに、と反省しています。休憩場所がなく、結局午後1時過ぎには吉原の宿に到着してしまい、宿での昼食と休憩となりました。


4日目:富士・吉原から静岡 歩行距離:42.9km 4月22日(水)4時15分発-14時2分着(9時間47分)

由比屋
山が海岸に迫る由比付近<写真を拡大>

 朝4時過ぎに吉原の宿を発って、最終目的地静岡に向かいます。富士川を渡ったのが6時ごろで、霧がたちこめて晴天となる気配です。歩き旅では曇りの方が快適なのですが。由比(ゆい)では山が海岸に迫り、東名高速、国道1号線、JR東海道線が狭いところを並んで走り、自転車と人の通路は高速と国道に挟まれています。清水までの約10kmを最悪の排気ガス環境のなかを歩かざるをえませんでした。海岸沿いで、本来であれば海を見ながらの快適な歩きになるはずですが、東名高速や高い堤防で海は全く見えない、排気ガスには包まれる、しかも日差しが強く、今回最悪の道中となりました。

静岡
静岡駅に到着<写真を拡大>

 宿を発ってから30kmほど歩いた清水で簡単な昼食と休憩をとり、そこから10km歩いて、静岡には午後2時ごろ到着しました。2時33分発の電車に乗り込み、6時ごろ帰宅、4日間、42時間6分の行程を3時間半で戻り、かかった費用も、往路約3万円が復路2,730円となりました。現代がいかに高効率でうごいているかが実感できます。江戸時代と比べて、時間で12倍、お金で11倍の効率の高さということになるのでしょうか。そんな高効率を排除した今回の往路、自分の足だけで到達したことで、自分の1つの可能性を確認し、達成感とともに自信も得た旅でした。江戸時代の人々は、日常生活で1日平均15km歩いていたといいます。そんなベースがあっての長旅だったのでしょう。わたしも次の歩き旅まで毎日の歩きを欠かさないようにしようと考えています。

の記事

No.024:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮 (2019年04月29日)

 10回目の東海道歩き旅、自宅から伊勢神宮まで511kmを14日、1日平均36.5kmで歩きました。会社同期会がある伊東を経由しての歩きなので、いつもより45kmほど回り道となります。中間点を過ぎたころ、もう歩きたくない、と思うほどの疲れを経験し、まだまだ先が長いのに完歩できるのか、と危惧しましたが、原因が「寝不足」らしいと分かり、睡眠時間をできるだけ確保するように工夫し、何とか完歩できました。

No.023:江戸時代の旅体験-京都から掛川、自宅から掛川 (2018年05月06日)

 9回目の東海道歩き旅、京都三条大橋からお江戸日本橋を目差しましたが、掛川で転倒して右膝をいため一旦帰宅、3日休んで、自宅から掛川までを歩きました。前半が8日、後半が6日の計14日、計500キロで1日平均35.7キロでした。途中3日休んだためでしょうか、後半はあまり疲れることなく、掛川から帰宅後すぐに日々ウォーキングを始めています。昨年は始めるまでに2週間かかりました。9回目は、食事時間、場所、内容を書き残します。

No.022:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2017年05月30日)

8回目の東海道歩き旅、お伊勢さんまで466キロを13日1日平均35.8キロで歩きました。12泊というスローペースは初めて、最速で9泊、雨での連泊があったり、2回に分けての完歩のときもせいぜい11泊でした。2年前の、身体が傾いて春秋2回で完歩したり、昨年の、気分よく歩けるときが少なかったりで、1日50キロ以上は歩かない計画としたのです。  確かに、気分よく歩けるときが昨年よりも少しは増えた気がしますが、歩く日数が増えた分、全体の疲労度は変わらないようにも思います。よれよれで帰宅しており、日々のウォーキングを再開したのは昨年同様帰宅後2週間後でした。疲労のためか、起き上がると回転性のめまいと吐き気がする、「良性発作性頭位めまい」と推定される様態にもなっています。このよれよれ度を今後改善すべく、歩き、食事、睡眠がどうなっていたかをここに記録しておきたいと思います。理想を言えば、帰宅の翌日から日々のウォーキングを始めることができるくらい、疲労の残らない歩き旅にしたいのですが・・・・。  費用に関しては、総額90,724円(昨年は87,744円)、1日平均6,979円(昨年は7,058円)でした。内訳は、12泊の宿泊代が59,870円(昨年11泊で57,700円)、1泊平均4,989円(昨年は5,245円) 、飲食代が22,564円(昨年は21,754円)、1日平均1,736円(昨年は1,813円)、帰りの交通費が8,290円(昨年と同額)でした。

No.021:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2016年05月04日)

 7回目の東海道歩き旅でした。毎日の行動は、午前6時前に起床、宿でしっかり朝食をとり午前7時に出発、昼食は軽く牛乳とクッキー、午後3時から4時で夕食、午後6時に宿に到着、洗濯と入浴し、午後8時過ぎに就寝、といったところです。疲れをとるために、9時間以上は寝るようにしていて、夕食が苦労の種となります。午後3時か4時には夕食をとりたいのですが、この時間に営業している店が少ない上に、幹線道路を避けて歩いているので店そのものがあまりありません。また、食事に時間がかかるとそれだけ寝る時間が削られるので、どうしてもファーストフード的なものとなります。改善すべき大きな課題なので、今回はどのような夕食だったのかをここに記録しておくこととしました。

No.020:江戸時代の旅体験-伊勢神宮から島田- (2015年11月14日)

 春のお伊勢参りが202km歩いて島田で頓挫したので、残りを秋に、伊勢神宮から島田まで268kmを歩きました。6回目の東海道歩き旅完歩です。ところが今回は、歩いているうちに身体が左横に傾き、後ろから見ると逆「く」の字になってしまうようになりました。このため3日歩いて帰宅、1週間ほど休んで、また4日歩いての完歩でした。原因は分からず、このままだと来年の7回目はありません。どのような状況だったのか、ここに記録しておきます。江戸時代にもこんな人がいたかもしれません。

No.019:江戸時代の旅体験-自宅から島田- (2015年05月25日)

 今年のお伊勢参り450km歩き旅は島田202kmで頓挫し泣く泣く帰宅の途につきました。原因は初日にできた足のマメ、潰れてからも歩き続け6日目の朝ついにギブアップしたのです。この秋に何とか続きを歩けたら、と考えています。 

No.018:江戸時代の旅体験-自宅から伊勢神宮- (2014年05月15日)

 今年の東海道はお伊勢参り、463キロを9日で歩きました。平均で1日51キロです。初日4月28日が75キロ歩いて箱根湯本泊、29日箱根を越え34キロ歩いて沼津で雨となり宿泊、30日雨で沼津に1日足止め、5月1日から6日まで、静岡56キロ、掛川53キロ、湖西(浜名湖の西)56キロ、知立58キロ、四日市54キロ、松阪53キロと、6日間連続で1日50キロ超を歩きました。最後の7日は伊勢神宮までの25キロです。今年も元気で歩いたお伊勢参り、連日の50キロ越えでひとつの自信がつきました。以下、今回どのように歩いたのか、GPS記録を見ながら振り返ってみました。今後の計画立案に役立つデータが一つできたような気がします。

No.017:江戸時代の旅体験-名古屋から伊勢神宮- (2013年11月11日)

 川崎の自宅から伊勢神宮までの歩き旅、春に8日間367.8km歩いて名古屋に到着したところで中止となり残念な思いをしました。続きをこの秋に、ということで名古屋から伊勢神宮までを3日間108.8km歩きました。これで4回目の東海道歩き旅完歩です。

No.016:江戸時代の旅体験-自宅から名古屋- (2013年05月23日)

 川崎の自宅から伊勢神宮までの歩き旅、11日間で455kmの予定でしたが、8日間367.8kmで中止して名古屋駅から新幹線で戻りました。転んで足首を強く打ったためです。8割ほどの行程で打切りとなり、4回目の東海道歩き旅完歩は来年に持ち越されました。

No.015:江戸時代の旅体験-自宅から京都- (2012年05月24日)

 川崎の自宅から京都までの歩き旅、11日間で498.2km、1日平均45.3kmでした。今年は3日目に足裏にマメができてしまい苦しい歩きとなり、もう歩けない、と思った瞬間もあります。現代では、何かあればいつでも帰ることができますが、帰るに帰れない江戸時代、場合によっては大変な思いをした人も多かったのではないでしょうか。なお、合計498.2kmは、持参したGPS機で記録された距離です。地図上の計画ルートでは478.5kmなので4%ほど回り道などをしたことになります。


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