江戸時代の旅は毎日9里前後を歩く、これを体験しようと自宅から静岡までの43里弱を4日で歩きました。毎日10里強の42kmです。朝3時半ごろ起きて、歩いて、昼3時半ごろ宿に入り、夕方5時ごろ夕食をとり、夜8時には寝るといった日々のペースが、歩く距離から自然とできあがります。
同様の移動距離だった江戸時代もこのペースに近いものだったにちがいありません。移動することが主目的で、何も考えずにただひたすら歩けばよい道中は、それはそれで気楽で楽しいものでした。駅の場所や電車時間、あるいは道路の交通事情や駐車事情に惑わされることのない、のんびりとしたマイペースの旅で、江戸時代気分を味わうことができました。
*毎日の歩行距離は、歩いた軌跡を自動記録する携帯電話によるGPSトレース実測値です。下図赤線はGPSトレース結果で、結果ファイルから自動作成されました。
1日目:自宅から茅ヶ崎 歩行距離:43.8km 4月19日(日)5時8分発-15時1分着(9時間53分)
江戸時代であれば神社などで旅の無事をお祈りしてからの出発ということでしょうが、そこははしょって、我が町内のランドマーク、学校時計台を仰ぎ見ながらの出発としました。自宅近くを通る中原街道(45号線)を、1日目の宿泊地茅ヶ崎までひたすら歩きます。
自宅を5時に出てしばらくは中原街道の交通量も少なく快適に歩いていましたが、7時過ぎぐらいから混み始め排気ガスが気になりだします。川崎北部で、幹線道路が交差する周辺、それも地形がやや低い所で小学生喘息罹患率が急増(No.021:川崎での生活)しており、排気ガスが原因と私は考えています。中原街道や国道1号線といった幹線道路を歩くので排気ガスから逃れるのは難しく、そんな心配なしに幹線道路を歩けた江戸時代を羨ましく思いながらの歩きとなりました。
厚木基地を過ぎ、東海道新幹線を渡るころに昼食どきとなり距離も30kmを超えました。思ったほどの疲れもなく、残りの約10kmも十分いける気分です。近くに神社を見つけて、すでに買ってあったコンビニ弁当をいただきました。あと10km、2時間ほど歩けば宿となるので、1日40kmへの初めてのチャレンジで緊張していた気持ちがとても楽になり、リラックスした昼食、休憩となりました。木立に囲まれた、村の鎮守様といった感じの神社に人影はなく、屋根の下の涼しいベンチでのんびりと午後を過ごした至福の時でした。
昼食・休憩に1時間以上とってから歩きはじめ、午後3時ごろ茅ヶ崎の宿に到着し、4時半ごろ夕食をとって、お風呂に入り、7時ごろ寝ました。排気ガスをできるだけ避けるために、翌朝は4時出発にしようと早めに寝たのです。江戸時代の旅の出発は「お江戸日本橋七つ立ち」とあるように七つ時、この季節であれば午前3時ごろとなりますが、それではさすがに早すぎます。それにしても、ぼんやり明るくなる明け六つまで、この季節で4時40分ごろまで、1時間40分もの間、月や星の明かりだけを頼りに歩いたのでしょうか。ちなみに、江戸時代の旅先での就寝時間は、早ければ日が暮れて暗くなった暮れ六つごろ、この季節で18時50分ごろ、だったでしょうから、この日の夜7時就寝は江戸時代相当ということになりそうです。
2日目:茅ヶ崎から芦ノ湖・元箱根 歩行距離:45.5km 4月20日(月)3時53分発-17時27分着(13時間34分)
朝4時前に茅ヶ崎の宿を発って、茅ヶ崎駅の24時間マックで朝食を買いこんで、まだ交通量の少ない1号線を箱根に向かいます。平塚をすぎて大磯にさしかかると右手に小高い山が見えてきました。高麗山です。岡とも言えそうな小さな山で、緑に覆われた、町を見守るような優しい姿からは親近感や安心感が感じられます。道中で最初に間近に見る山だからこその好意的な印象かもしれませんが、江戸時代の旅人もきっとそんな好意をもって優しい山並みを見つめたことでしょう。
大磯から小田原までは海岸沿いの道なのですが家々が建ち並び海はほとんど見えません。国府津あたりで一瞬家が途切れ海が迫っている場所があり、初めての間近に見る海となりました。街道まで海がもっと迫っていた江戸時代は、どこまでも続く海を横に見ながら、潮風をあびての気持ちよい道中だったことでしょう。小田原をすぎて箱根湯本近くになると、川の流れが早くなり、箱根の山々が立ちはだかってきます。いよいよ箱根越えとなります。
箱根では、「東海道名所日記」で道中一番の難所とされ、「くるしくて、どんぐりほどの涙こぼる」と言われた橿木(かしのき)坂などを含む多くの嶮しい坂を登り、自然石を敷き詰めた歩きにくい江戸時代の道を歩きました。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とありますが、馬もかなり難儀したことでしょう。登りきって芦ノ湖が見えた時の喜びと安堵感はひとしおでした。
3日目:芦ノ湖・元箱根から富士・吉原 歩行距離:43.3km 4月21日(火)4時25分発-13時17分着(8時間52分)
朝4時過ぎに元箱根の宿を発ち、富士・吉原に向かいます。夜明けどき、峠から見下ろす芦ノ湖はとても幻想的でした。峠を越えると三島まで延々と下り坂が続きます。ときどき三島市街が見え、見えるたびにほんのわずかだけ近づいているという、約20km、4時間に及ぶ下り坂です。しかし、その先にはまたまた単調な道中が待っていました。
三島から沼津を過ぎると富士までの10kmあまりコンビニやファミレスなどは一軒もありません。曇りで富士山は雲のなか、富士のすそ野だけを右手遠くに見ながら、それがごくわずかづつ後ろに移動する単調な道中、1号線を渡る歩道橋が遠くに見えると、何かあるかも、との期待が湧き起こり、近くにいってからなにもないことがわかるとがっかりする、そんな歩きとなりました。1号線ではなく、その南を通る東海道を通ればよかったのに、と反省しています。休憩場所がなく、結局午後1時過ぎには吉原の宿に到着してしまい、宿での昼食と休憩となりました。
4日目:富士・吉原から静岡 歩行距離:42.9km 4月22日(水)4時15分発-14時2分着(9時間47分)
朝4時過ぎに吉原の宿を発って、最終目的地静岡に向かいます。富士川を渡ったのが6時ごろで、霧がたちこめて晴天となる気配です。歩き旅では曇りの方が快適なのですが。由比(ゆい)では山が海岸に迫り、東名高速、国道1号線、JR東海道線が狭いところを並んで走り、自転車と人の通路は高速と国道に挟まれています。清水までの約10kmを最悪の排気ガス環境のなかを歩かざるをえませんでした。海岸沿いで、本来であれば海を見ながらの快適な歩きになるはずですが、東名高速や高い堤防で海は全く見えない、排気ガスには包まれる、しかも日差しが強く、今回最悪の道中となりました。
宿を発ってから30kmほど歩いた清水で簡単な昼食と休憩をとり、そこから10km歩いて、静岡には午後2時ごろ到着しました。2時33分発の電車に乗り込み、6時ごろ帰宅、4日間、42時間6分の行程を3時間半で戻り、かかった費用も、往路約3万円が復路2,730円となりました。現代がいかに高効率でうごいているかが実感できます。江戸時代と比べて、時間で12倍、お金で11倍の効率の高さということになるのでしょうか。そんな高効率を排除した今回の往路、自分の足だけで到達したことで、自分の1つの可能性を確認し、達成感とともに自信も得た旅でした。江戸時代の人々は、日常生活で1日平均15km歩いていたといいます。そんなベースがあっての長旅だったのでしょう。わたしも次の歩き旅まで毎日の歩きを欠かさないようにしようと考えています。