定年の日は感激も、感動も、感傷もなく終わりました。TVで見るような職場での花束や拍手、自宅での豪華な食事などはありません。仕事で忙しい日々が続く中で、自宅でのそれらしい会話といえば「定年なのに何んでこんなに忙しいんだ」という私のぼやきに「仕事があるだけいいじゃない」という妻の返答があったぐらいです。
定年後も同じ職場に勤めるので節目という感じがあまりしないのは確かですが、勤務時間や収入は大きく変わります。それでも特別な日としなかったのは、夫婦二人で気楽に暮らしてきた私たちにはそれが自然で、これからも形にとらわれることなく二人でのんびり暮らしていこう、という暗黙の了解だったのでしょう。
そんな定年の日を機に思いました、「俺のような者がよくここまでこれたなぁ」と。自然体というと聞こえはいいのですが、要するにボケーとしているのです。それでも若いころは仕事の実績を上げてきましたが、管理職になるころからそうはいかなくなりました。担当する商品開発が大幅に遅れ、自部門や関連部門に大変な迷惑をかけるようになったのです。もう少し頼りになる人間であればしっかりした計画で遅れなど出さず、もし遅れたとしても早めに手を打っていたに違いありません。そんな頼りない私を部下や上司が支えてくれました。だからこそここまでこれたのです。私の上司や部下はさぞかし迷惑だったでしょう。でも、なぜ支え続けてくれたのでしょう。自分なりに出した答えは「どんなときでも俺は前向きだったかなぁ」ということです。そうか、これからも前向きで行こう、これが定年を機に考えたことです。
その日から1ヶ月が経ちました。それまで4kmだった通勤ウォーキングを11kmにしています。「前向きで行こう」の一つのつもりです。健康のためにある程度の距離を歩こうと始めたのですが、続けるなかで面白さを感じるようになり、出勤日以外でも朝11km歩く日がでてきました。朝2時間のウォーキングなので、時間に縛られていた定年前では無理だったでしょう。勤務時間の少ない定年後だからこそです。職場に急ぐことなくのんびり歩いていると、俺も定年になったんだなぁ、と実感することもあります。仕事中の会社員らしき人たちに途中で出会うと、その感を更に強くして、少し寂しい思いもあるのですが、自分のやりたいようにやれる喜びは大きく、そんな寂しさを十分に埋めてくれます。今のところは....