国内旅行 暮し

No.214:80歳の壁

   会社仲間の集い、あわら温泉での宴の翌日、車3台で観光に出かけました。一緒に宿を出たのですが、内1台が集合場所に現れません。電話で、「どこにいるの?」と尋ねると、「第1駐車場」との答、ここの駐車場は1つ、第1も、第2もありません。結局、「一乗谷朝倉氏遺跡博物館」集合を「一乗谷朝倉氏遺跡」集合と思い込んでいたようです。事前に決めた行程が狂い、「行程表を見ていない」と、幹事は少々お怒りでした。

   思い込みは誰にでもあるのですが、それを疑わない、あるいは、それが正しいと考えるのは高齢になった証なのでは、と思ってしまいます。体力、気力、思考力が次第に衰える70歳代、越えるべき「80歳の壁」は高く厚いと言われています。我々にもその高い壁が迫っている、ということなのかもしれません。

   あわら温泉で1泊し、夫婦で金沢に2泊して帰宅、その2週間後、紅葉を見ようと宿を予約したところ、痛風になってしまいました。歩くと少し痛みが出るようになって数日後、突然、歩けないほどの痛みとなったのです。

   2年前に痛風予防の薬を止めてから、痛風発症リスクが高まる尿酸値8を超え、今年、9も超えたのですが、薬を飲む前の40歳から57歳まで同様の値だったので、まあ痛風にはならないだろう、と勝手に決めていました。もう若いころとは違う、まさに「80歳の壁」にぶち当たっていたのです。

武家屋敷旧内山家から大野城(山頂・赤矢印)を望む<写真へのクリックで拡大できます>

   会社仲間との集いの解散後、大野城を見物しました。天空の城として有名ですが、「わが殿」という福井新聞に連載された畠中恵さんの小説の舞台でもあります。藩主・土井利忠(どいとしただ)に、金を生む「打ち出の小槌」と言われた家臣・内山七郎衛門(うちやましちろうえもん)の物語で、その屋敷を見物しました。

   幕末に黒字だった藩は全国で僅か2つ、そのうちの一つが大野藩4万石なのですが、物語は、藩が大赤字だった明治維新30年ほど前から始まります。4万石と言っても実質石高2万8千石、米を売って入る金は年1万2千両、借金が9万6千両で、利息だけで年9千両という大赤字藩だったのです。

   そんな中でも藩主は藩校を作ると言いだし、七郎衛門はそのための金作に奔走します。藩校の次は洋医学の病院、軍の洋式化のための新式の銃や大砲の購入、更には蝦夷地開拓にまで手を出します。次々と必要となる金を工面しているうちに藩は黒字になっていくのです。80石の中級武士だった七郎衛門は、最後には家臣最高位の家老となります。

   たとえ赤字であっても、藩の将来を見据えて必要なものは揃えようとする藩主と、その想いに応える七郎衛門、そこには、家柄よりも能力を重んじる藩主と、そういう藩主に忠義を尽くす藩士との、強い絆と信頼がありました。

   藩直営の商店、大野屋などが最終的に全国40店舗、それに、北前船5隻、洋式船1隻を持ち、大野の特産品販売や交易などで稼ぎました。明治の廃藩後は、藩から切り離した大野屋からの利益で、生活に苦しむ旧藩士たちを助けたといいます。七郎衛門は明治14年、75歳で亡くなりました。平均寿命がせいぜい44歳ぐらいだった当時としてはかなりの長寿です。生涯現役、しかも藩や旧藩士の為に稼がなくてはならなかったからこその長寿だったのではないでしょうか。現在であれば、「80歳の壁」は優に超えたことでしょう。

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No.213:大人の休日倶楽部パスの旅ーその後ー (2024年10月28日)

 年3回発売されるJR東日本5日間乗り放題パス「大人の休日倶楽部パス」を初めて使ったのは2012年9月の角館でした。その後は毎年、最近は発売ごとに年に何回も使っています。お得なパスなので、行かなくっちゃ!!、ということなのですが、それだけではありません。

No.211:東北の祭 (2024年08月31日)

 高さ12m・重さ50kgの46個の提灯を吊るした竿燈280本が大通り一杯に揺らめく秋田竿燈まつり、幅9m・奥行7m・高さ5m・重さ4tの巨大灯籠「ねぶた」が大通りを練り歩く青森ねぶた祭、5つの絢爛豪華な吹流しで飾られた長さ10mの笹3千本が商店街を埋め尽くす仙台七夕まつり、この東北三大祭に加えて、高さ23m・重さ19tの巨大な立佞武多がゆっくりと進む五所川原立佞武多、棟方志功も描いたことがある弘前ねぷた、を一気に見物しました。5泊6日の欲張り旅でした。

No.209:「ありがとう 秀吉さん」の長浜 (2024年06月30日)

 今月は長浜へ、秀吉が初めて一国一城の主となり、城を造り、城下町を作りました。周辺から商人を集め、楽市楽座などの施策で町の経済を発展させた秀吉は、町衆に慕われ続けていたようです。天下人となって作った城下町、大阪の原点とも言える町なのでしょう。

No.208:名古屋観光 (2024年05月31日)

 今月は名古屋1泊での観光でした。名古屋と言えば名古屋城、そして金の鯱、本丸広場から大天守を見上げると、頂で黄金に輝く鯱が大天守を守っています。城に隣接した飲食店街・金シャチ横丁には実物大のレプリカがありました。本丸広場には、かつてそこにあった本丸御殿が、9年かけて復元され、6年前に完成公開されました。真新しく、美しく、きらびやかに、当時の姿を鮮やかに伝えています。

No.207:睡眠スコアその後のその後 (2024年04月30日)

 大谷翔平さんは睡眠を大切にしていて、遠征に寝具を持ち込んだり、日々の睡眠データを計測しているそうです。超ビッグな大谷さんを引き合いに出すのはおこがましいのですが、私も睡眠データを計測しています。私のデータは、睡眠の質を示すスマートウォッチの睡眠スコアです。それが、30日移動平均で、昨年7月28日の、100点満点中83をピークに、どんどん低下し、今年3月19日には70にまで下がってしまいました。

No.206:日本海に蟹を食べに行きました (2024年03月31日)

 「(福井県の)小浜に蟹を食べに行くけど・・・(行かないか?)」と京都在住の友人からメールが届きました。京都に住んでいた若いころ、日本海での蟹といえば、蟹、蟹、蟹の蟹尽くしのイメージがあって、しかも、今回のメンバー5人全員が会社の元同僚で、内2人は私と同じ大学、これは行かなくては、と即決しました。

No.205:長崎ランタンフェスティバル (2024年02月29日)

 旧正月を祝う長崎ランタンフェスティバルを見物してきました。旧正月のランタンフェスティバルといえば台湾、無数のランタンが夜空に舞い上がる風景が有名ですが、長崎も負けてはいません。無数の光るランタンが広場や通路の頭上にあり、人物や動物のオブジェや高さ10mにもなる大型オブジェが市内中心部のいたるところで輝いています。

No.204:年末年始は今年も京都 (2024年01月31日)

 年末年始は京都でした。3年連続ですが、どこを歩いても楽しく、街歩きに飽きることはありません。今回は、嵐電1日パスでの名所巡り、大津、宇治に足を延ばしての「紫式部ゆかりの地」巡りでした。6日間で11.5万歩、二人でぶらぶら歩いた楽しい旅でした。

No.203:人生の転機となった学校 (2023年12月31日)

 「授業中もぼんやりしていることが多い」とか、「教科書を忘れて来る」、「えんぴつも持たずに登校する」とかを小学校の通信簿連絡欄に書かれていた私ですが、中学に入ってからは少しまともになりました。

No.202:北陸の旅 (2023年11月30日)

 カニ漁の解禁が今月初め、しかも今年は豊漁とのこと、カニへの期待を膨らませて金沢に3泊した旅でした。ズワイガニを目の前で茹でててくれる居酒屋でいただきましたが、期待が大きすぎたためか、少し物足りなさを感じました。カニといえばカニカマ、という普段の生活なので、あの大きさと食感がないと満足できないようです。でも、お寿司屋さんでは、のどくろやガスエビといった北陸の美味しさに大満足、同じ店に2日出かけ、「たくさん食べていただきありがとうございます」とお礼を言われました。美味しいお寿司をたくさん頂きました。


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