今月は長浜へ、秀吉が初めて一国一城の主となり、城を造り、城下町を作りました。周辺から商人を集め、楽市楽座などの施策で町の経済を発展させた秀吉は、町衆に慕われ続けていたようです。天下人となって作った城下町、大阪の原点とも言える町なのでしょう。
秀吉亡きあと豊國神社を作り、徳川幕府となっても、表向き「えびす宮」と称し、裏では秀吉を祀り続けていました。大正になってから豊國神社として復活しています。「ありがとう 秀吉さん」「2026年大河ドラマ 豊臣兄弟!」なるのぼりが神社や商店街に立ち並んでいました。根強い秀吉人気と期待があるようです。
長浜沖の竹生島も秀吉とのつながりが強く、大阪城極楽橋の一部が移築されて宝厳寺の唐門となっています。秀吉が建てた幻の大坂城の唯一の遺構、とも言われ、国宝です。2020年に修復が完了し、飾金具や極彩色の彫刻など、豪華絢爛な桃山時代の姿が鮮やかに再現されています。その奥には、秀吉の御座船日本丸の船櫓で造ったといわれる舟廊下もあります。
今回は友人夫妻と一緒、昨年9月の恐山以来です。友人は過去2回、竹生島上陸を試みましたが、悪天候のため渡航できず、3回目にして初めての上陸となりました。それにしても車で往復約800kmの旅、運転手である友人はさぞかし疲れたことでしょう。同じ友人仲間に、旅先から写真をLINEで送ると、「名所より 疲れた顔の運転手」の一句が寄せられました。まあ、友人の希望でもあったので、疲れたけど良かった、ということだと思います。
長浜からの復路の途中、関ケ原の古戦場を見物しました。小高い山に囲まれた盆地で、山すそにあった石田三成の陣からは盆地全体を見渡すことができます。決戦の後、西軍諸隊が瓦解すると、西軍・島津義弘隊は、盆地全体に広がった敵陣の中央を突破し、伊勢街道を南へと脱出しました。多くの家臣が命を捨てて、主君の脱出を支えたのです。そこには、武士たちの壮絶な生きざまがありました。
友人夫妻が若いころに数年間過ごした岡崎にも立ち寄りました。当時の友人たちや勤務先事業所を訪ねています。八丁味噌の工場も見学し、味噌煮込みうどんをいただきました。2年以上熟成させるという八丁味噌の美味しさを初めて知り、うどんセットを購入し、家でもいただきました。おかざきかき氷街道で、名水百選の「鳥川ホタルの里湧水群」のまろやかな天然水の氷と新鮮なブルーベリーも美味しくいただいています。友人夫妻との久しぶりの2泊3日の楽しい旅でした。