先月は誕生月だったので、歳の数だけの無料餃子でお祝いしてくれる店で、大学時代の友人たちと飲みました。73個と数が多いので「太田胃散を持参したほうがいいでしょうか?」と言う友人もいましたが、いざ飲みだすと、6人もいたからか、ペロリとたいらげてしまいました。みんな元気です。四方山話に話が弾み、楽しいひとときでした。
大学時代、友人が我家に遊びに来たときに出た「トンカツが美味しかった」と一人が言うと、もう一人が「おれが行ったときはエビフライだった。美味しかった」と続けました。共に、お袋の得意料理で、親父の大好物です。トンカツは厚くて柔らかいヒレカツ、エビフライは特大のクルマエビ、我家での最高のおもてなしです。友人には、「我家のいつもの食事で、俺なんか『えぇ~、またエビフライなの』とか言ってたよ」と見え見えの見栄で笑いを誘いました。50年以上も昔のことなのに覚えているということは、かなり鮮烈な印象だったのでしょう。
食べ物では、私も忘れられない思い出があります。中学生のとき、英語の先生からアルバイトを紹介され、出かけました。そこは、一般人は入れないアメリカ駐留軍の家族住宅地区、芝生に囲まれた家々が広大な土地の中に点在している、アメリカ映画さながらの風景でした。当時グラントハイツと言っていましたが、今は練馬区光が丘という住宅地となっています。家の周りに低い柵を立てる仕事でしたが、途中でサンドイッチが出されました。ハムが入っているだけのサンドイッチでしたが、そのハムが分厚くて柔らかくてジューシーで、それまでに食べたことのない美味しさだったのです。いまだに覚えています。
もう一つは小学生のとき、初めて遊びに行った友人の家、ベッドがありました。家の中にベッドがあるなんて、不思議な風景でした。それに、いま思うに電気掃除機だったのでしょう、大きな音を立てる機械をお母様が操作していました。お金持ちの家だったに違いありません。そこでアイスクリームが出されました。アイスクリームと言えば「アイクスリームバー」しか知らず、しかも、それさえも私にとっては滅多に食べることができないものでした。バーとは違って、食器に盛られていて、バーのように純白ではなく、少し黄色みがかっています。おそらく手作りだったのでしょう。ミルキーで濃厚な味だったように記憶しています。
食べ物の記憶は、食べ物そのものに対する強い印象と、それを食べたときの状況や風景の強い印象が相まって深く刻み込まれるのかもしれません。友人たちの記憶も、単にトンカツやエビフライといった食べ物だけでなく、私の家の印象も強かったのでしょうか。それは、消防署内にある広い公舎、上野駅近くで都会のど真ん中の家、浅草で育ったお袋の気さくなおもてなし、などだったのかもしれません。そう考えてみると、私も恵まれていた、とあらためて思います。食べ物の記憶は幸せの記憶なのです。