美味しいものに恵まれたおいしい生活です。今年は果物に恵まれています。スイカ、メロン、マンゴー、モモ、ブドウ、ナシと途切れることなくいただきました。スイカは叔母の家のちかくの八百屋さんから、メロンは北海道から、ブドウは岡山から、それぞれ叔母に届けられたものです。
マンゴーは台湾から、モモは岡山から、ナシは二十世紀が鳥取から、普通のナシが千葉から、週2日働いている個人事務所に届きました。それらをいただいてくるのですが、その美味しいこと、スイカを除いてはいただきもので、送り主の気持ちがこもった高級品なのです。
スイカは、叔母が50年以上ひいきにしている八百屋さんからのもので、いつも美味しい野菜や果物を届けてくれます。スイカ大好きなわたしのために叔母が買ってくれるのですが、叔母のそんな優しさがスイカをますます甘いものにしてくれる、そんな気持で味わっています。メロンやブドウが叔母に届いても、「わたしは食べないから」と押しつけるようにわたしに渡すのです。「自分で食べなよ」などといいながら、ついついもらってきてしまいます。母もそうですが、叔母も、美味しいものは自分で食べるより子供や甥・姪に食べさせる、昔からそうです。
マンゴーは、我が家ではとても珍しい果物になります。東国原知事が1個1万円の完熟マンゴーを宣伝していましたが、本場台湾産ですから味は負けてはいないはずです。それを2つもいただきました。なかなかできないことです。太っ腹です。その太っ腹の人に届けられるモモやナシにしても、送り主が自信をもって送ってくるものだけに、丹精込めた洗練された深い味わいがあります。モモは早くいたむ、ナシはすぐ味が落ちる、などと言いながら、送られてきた箱から出しては手渡していただきました。
恵まれたのは果物だけではありません。友人からは美味しいクリが届きます。たくさんあって、栗ごはんや渋皮煮で半月ぐらい楽しめるのです。収穫作業も大変でしょうが、年間を通しての栗の木の世話も大変だろう、でも定年になって時間もあるし、農園趣味だからいいか、などと自分勝手なことを考えながら美味しくいただいています。これも感謝、感謝です。
大好きなスイカを今年ほどよく食べた年はありません。暑い夏は涼しくなる晩に妻と散歩に出かけ、1時間半ぐらい歩いて、家の近くの生協で買い物をするのですが、切ったスイカがときどき安売りされており、それを買って帰ります。安売りのないときは買いませんが、それでも時期のときには週2回ぐらい買えました。散歩の後のスイカはまた格別です。
こういった恵みは、生活スタイルの変化がもたらしてくれたものです。独り住まいの叔母のところは週1回顔を見に行くようになり、太っ腹の人のところでは週2日仕事をするようになり、家庭農園の友人とは数カ月に1回は会うようになり、健康を気にし始めた妻とは毎日散歩に出かけるようになりました。人との関係で生活スタイルが変わり、そこに美味しいものがついてきた、そんな感じです。美味しいナシを食べながら、これも結構おいしい生活だなぁ、などと考えたりしています。これを書いているときに、叔母から大きな新高梨が届きました。これがまた美味しいんです。まだまだおいしい生活が続きそうです。