Mさんのページ −多彩な趣味をもつ友人Mさんのページ−自由研究 No.061-080 |
目次
No.080:孔雀サボテン
No.079:玄人跣
No.078:列車の気密性
No.077:色の記憶
No.076:蕗(フキ)
No.075:プラットホーム
No.074:職人技
No.073:タラの芽
No.072:望遠レンズ
No.071:さざれ石
No.070:天保山
No.069:インクライン
No.068:芹
No.067:赤道儀
No.066:水平線
No.065:ハラビロカマキリ
No.064:筑波山
No.063:関東平野の黄砂
No.062:水温
No.061:コンパス(2) |
孔雀サボテン今年も孔雀サボテンが花を咲かせた。もう20年近くも株分けしながら育てている。 冬の間は温室に入れるが、わずかな肥料で水も時々しかやらないのに毎年美しい花を見せてくれる。 夕方から夜にかけて咲き始めるところは月下美人(自由研究 No.041)と良く似ているが、孔雀サボテンは翌日の昼間まで咲いている。 原種はメキシコ・西インド諸島からベネズエラ、ブラジルの主に山岳地帯に自生し、 花の美しさからオーキッドカクタス(孔雀蘭)という別名があるそうだ。 葉を切って土に挿しておくだけでいくらでも増える。植物は花を咲かせて昆虫や鳥を呼び、受粉して実をつけ子孫を残す。 サボテンは何のために花を咲かせるのか、不思議な植物だ。 |
玄人跣松の手入れで鋏を全く使わないみどり摘みという技法があるのを知った。 枝の混み具合を見ながら素手で新芽の先を摘み取り、 その下の古い松葉を3分の1ほど残して引き抜いてしまう技法である。 植木屋さんを入れると、松は親方が持つ。しょっちゅう梯子から降りてはタバコを吹かしながら木を見上げ、また上って摘み始める。 それほど大きくない松なのに1日中取り付いている。 この程度なら … 、と今年は自分でやってみた。 いつもの植木屋さんが「そろそろどうですか」と注文を取りに来たが綺麗に手入れされた松を見て、 それっきり来なくなってしまった。他にも庭木が沢山あるのだが、今年は全部自分でやることになりそうだ。 |
列車の気密性ほくほく線は1997年に開業した六日町〜犀潟59.5kmを結ぶ第三セクターの鉄道で、狭軌・単線ながら新幹線規格で造られている。 北越急行『はくたか』は越後湯沢と金沢の間を結び、この路線を最高150km/hで走行する。 「能登半島ぶらり旅」で利用したが座席はゆったりとしていて車内サービスも良く快適な急行である。 松代付近は山間部を走りトンネルが多くなる。通過するたびに列車内の気圧が大きく変化するのが非常に気になった。 単線でトンネルが狭いことも影響しているようだ。特にトンネル内に対向列車とすれ違うための待機区間があり、 そこを通過する時はドスンときて驚くほどだ。 新幹線のドアを見ると、閉まると同時に内側にある油圧ピストンのロッドがせり出してドアを外側のゴムパッドに押し付けて密閉する構造になっている。 列車の場合、何両も連結されているので航空機並に気密を保つことは難しいのだろうが、急激な気圧の変化をこの構造で抑えている。 狭軌路線の車両も高速化に伴い新幹線のようなドアの構造が必要になってくるのだろう。 |
色の記憶スピルバーグ監督の映画『シンドラーのリスト』のDVDをインターネットで探し当て、手に入れた。 この映画はテレビでも放映されたことがあるが、DVDは最近廃盤になり街のビデオ店から消えてしまった。是非とも欲しかった作品のひとつだ。 ストーリーは他に譲るとして、スピルバーグの演出の手法が素晴らしい。 あえてモノクロを使ってナチスによるユダヤ人迫害をドキュメンタリータッチで描く中で、 ゲットーから追い出されて収容所へ強制連行される途中で家族からはぐれてしまい、 さまよい歩く一人の幼い女の子のコートにだけ鮮やかな赤い色をつけている。スピルバーグはナチスドイツの愚行を赤で告発したのだろう。>/p> あの赤いコートだけが鮮烈な印象となって記憶に残った。 |
蕗(フキ)庭の隅に蕗と茗荷が自生している。 茗荷がすさまじい勢いで蕗の領域を侵略(自由研究 No.038)しているため、昨年の秋に根を半分くらい引き抜いた。 春先にフキノトウが1つしか出なかったのでどうなるかなと思っていたら、軟らかそうな太い茎に大きな葉が元気よく生い茂っている。 家内が採ってきて伽羅蕗をつくった。独特の香りと苦味が何とも言えない。次々と伸びてくるので入梅の頃までは楽しめそうである。 |
プラットホーム最近、宇都宮線間々田駅のホームに列車のドア位置を示す黄色のテープが貼られた。 どんな表示があるのか調べてみると、 ・車両型式:3ドア、4ドア これらがそれぞれに印刷され、ホームに沿って延々と殆どすき間なく連なっている。 ローカル駅で、ホームの表示を見て並ぶ必要も無いのになぁ、と思いながら毎日利用している。 |
職人技我が家の庭には何種類かの植木があり、毎年植木職人を入れる。 しかし、3人で丸2日もかかるので手間賃もバカに出来ない。極力自分で刈り込むようにしているが、どうしても素人技である。 ツゲや山茶花の垣根などは手軽なので電気バリカンを使う。 毎年同じ枝を同じ高さに切るため新芽がそこに集中して出て、俗に車枝と呼ばれる枝がはびこってしまった。 似たようなことが百日紅(サルスベリ)でも起きている。夏に花が咲いたあと、その年に延びた枝だけを幹から切っていたら見事?な瘤ができた。 プロに言わせると電気バリカンは木に優しくないので邪道だそうだ。 プロは研ぎ澄ました鋏で、丁寧に切る。枝の切り口を拡大して見ると断面がきれいだ。電気バリカンは切り口がつぶれ、枯れ込みになりやすい。 また、プロは枝の間を均等に透かすように、毎年違った枝を切りながら樹形を整えていく。そのため、瘤ができるようなこともない。 時間をかければやってできないことはなさそうだ。プロの技を盗んでみよう。 |
タラの芽タロッペなどと呼ばれウドと並んで山菜の王様である。 裏の雑木林のタラの木は地元の食通に若芽を丸坊主にされ、すっかり枯れてしまった。 この話(自由研究 No.044) を知人にしたら苗木を譲ってくれた。もともと野生の雑木で生命力が強い。 庭の隅に植えたら勢い良く育ち、張り出した根から芽が伸びて3本に増えた。 タラは幹や枝に大小の鋭いとげがあり、あまり歓迎できない木である。 しかし、取れたての美味いタロッペを味わうためには、こうして栽培するしかない。 柔らかそうな若芽が沢山出た。来年のことを考え半分くらい残して摘み取り、天婦羅にした。 |
望遠レンズ現在使用している反射望遠鏡のファインダーは視野が狭く、目的の星をガイドしにくいので取り替えることにした。 しかし専用のファインダーは値段も高い。代りに使えるものがないか、あちこち探し廻っていたところ、 あるカメラ店で美術品鑑賞用の単眼鏡を見つけた。 口径20mm、倍率 ×8、視野角6.8°、焦点距離20cm 〜 ∞、値段のわりには精度が良さそうなので買ってきた。 デジカメのレンズの前に当て、遠方の風景に向けると結構鮮明な映像がモニター画面に映る。これは思いも寄らない発見である。 早速、塩ビの水道管を利用してアダプターを作った。400〜500mmの望遠レンズに相当する写真が撮れる。 ファインダーよりもデジカメの望遠レンズとして使う機会の方が多くなりそうだ。 いろいろ工夫しながら用途を拡げていくのは楽しいものである。 |
さざれ石「 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで 〜 」 今まで何の疑問も持たずに歌っていたが、ふと、この歌詞が気になりだした。 年月を経ると大きくなり、巌にもなる石が本当にあるのだろうか。 調べると、さざれ石の学名は石灰質角礫岩、伊吹山付近で産出し、県の天然記念物にも指定されている。 石灰岩が長い年月の間に雨水で溶解され、そのとき生じた粘着力の強い乳状液(鍾乳石と同質)が次第に小石を凝固しながら巨岩となり、 それが侵食作用などで地表に現われたものだそうだ。 近江長岡の岡神社に行くと、境内に祭られている苔むした見事な“巌”を見ることができる。 また、石灰岩は海水中の炭酸カルシウムが沈殿し堆積したもので、 太古の昔には深い海の底にあったが地殻の褶曲運動で地上に押し上げられた岩だ。 2番(あまり知られていないが)にはそのことが詠まれている。 「 君が代は 千尋の底の さざれ石の 鵜のゐる磯と あらはるゝまで 〜 」 1番、2番共に何万年何億年と続く地殻の変動を詠んだ壮大な詩であったことを知り、『君が代』のイメージを新たにした。 |
天保山「日本一の山は?」「富士山!」それは高い方であって日本一低いのは天保山。 海抜は 4.53m、小数点の打ち間違いではない。頂上には国土地理院の三角点が設置されているから立派な山である。 三角点というと新田次郎著『剱岳点の記』を思い出す。 明治年間に日本の山は、宗教登山で開山された山を除くとほとんどが陸軍参謀本部陸地測量部の測量隊によって初登頂がなされた。 最後に残された山は、弘法大師がワラジ三千足を使っても登れなかったという剱岳。 その最後の山に当時発足したばかりの日本山岳会が初登頂を狙っていた。 山岳会より先に測量隊の旗を立てなければ陸軍の恥であるということから、測量隊が“未踏の山”剱岳に挑戦をすることになった。 しかし、苦闘の末に剱岳に登頂したら、そこには既に奈良朝時代の剣と錫の杖頭があった … 。 今は登山ルートが整備されたがそれでも剱岳登山は上級者向けである。 垂直に切り立った岩場をよじ登って頂上にたどりついた時、改めて日本の宗教登山の歴史に感動したものである。 今回、念願の日本一の山に初挑戦した。長いアプローチ?を経て頂上に立った気分は格別であった。 *天保山の位置:北緯(34度39分29秒)、東経(135度25分58秒) |
インクライン京都南禅寺の前にあるインクラインを見に行った。 これは琵琶湖疎水を利用して京都と大津の間を航行する、物資運搬舟を昇降させるために作られたケーブルカーである。 京都にとって琵琶湖の水を引くことは昔からの夢であった。 第3代京都知事となった北垣国道は、明治維新による東京遷都で冷えきった京都に活力を呼び戻すため、琵琶湖疎水の建設を取り上げる。 大津から山科までの長さ2,436mのトンネル掘削をはじめ殆どの工事は人力によって進められ、着工から5年後の明治23年に完成した。 疎水を利用した水力発電所も蹴上に建設され、市内には国内初の路面電車が走り、新しい産業が生まれ、京都は近代化への道を歩み出す。 当時のレールや滑車、舟を載せた台車などが市の文化財として保存されており、 古都の再興に取り組んだ明治の先人達の苦労をしのぶことができる。 |
芹近くの休耕田に家内と芹を摘みに行った。 昨年は探すのに苦労したが、今年は陽気のせいか5〜6cmに伸びた柔らかそうな芹が群生している。 僅かな時間でカゴがいっぱいなった。 芹は春の七草の一つで、学名は Oenanthe stolonifera 、多年草で日本全土、東南アジアに広く分布し、 野菜としても栽培されている。 その昔、高貴な女性が芹を食べるのを見た身分の低い男が、芹を摘んで自分の思いの遂げられるのを期待したが、 徒労に終わったという故事から「芹摘む」は物事が思い通りに行かないことの喩えに言う。 しかし、喩えもその通りにはならずに、夕食の膳には新鮮な芹の精進揚げとビールが並んだ。 |
赤道儀いろいろな天体の写真を撮ってきたが三脚が固定式のため地球の自転で被写体が流れなかなか満足のいく写真が撮れない。 思い切って天体を自動的に追尾してくれる赤道儀を購入した。 一眼レフデジカメを買おうか迷ったがデジカメの性能は日進月歩、 現在使っているデジカメをもうしばらく使うことにしてまずは三脚に投資した。 − 仕 様 − 標準レンズのデジカメをマウントすれば30分位までの長時間露出が可能になる。星座や星雲などがどこまで捕らえられるか楽しみだ。 現在愛用している自作の20cm反射望遠鏡はマウントするために加工しなくてはならない。 画像処理のソフトも新たに必要となる。あれこれプランを練っているがどうも時間がいくらあっても足りなくなりそうである。 |
水平線自作の20cm反射望遠鏡を持って仲間と八丈島へ星を見に行った。 往路は夜だったが復路は八重根港発10:30、船は春の陽射しの穏やかな海をすべるように進んだ。 甲板から見える水平線までの距離がどのくらいあるのかふと気になり頭の体操のつもりで計算してみた。 観測者から水平線までの距離 L は、海面からの高さを h 、 地球の半径を r ( 約6400Km )とすると、 h << r であれば L = √2rh で近似できる。 海面からの高さを4mとして計算すると水平線は7.2Km先になる。意外と近い。 確かに船が進むと島の海岸に打ち寄せる白波がすぐに水平線の下に隠れてしまう。 地球の表面は想像している以上に湾曲していることが分かる。ちなみに富士山の山頂は海上であれば220Km遠方から望むことができ、 高度10,000mを飛ぶジェット機の窓からは358Km先まで見えるはずである。 次々と過ぎる伊豆七島の島影を見ながらの素晴らしい船旅であった。 |
ハラビロカマキリ裏の物置の柱にカマキリの卵嚢をみつけた。 近づいてよく見るとエイリアンでもドワーッと飛び出してきそうな不気味な格好をしている。 昆虫図鑑で調べたらこれはハラビロカマキリらしい。カマキリは不完全変態昆虫で幼虫は成虫とほぼ同じ体型で生まれてくる。 カマキリの卵嚢は昔からよく見ているが生まれる瞬間は見たことがない。 やがてこの卵嚢からカマキリの赤ちゃんがぞろぞろと生まれ、旅立つ日が来るだろう。 こんなところにも春を待っている生き物がいた。 |
筑波山「 … 東北線に乗る時は、いつも私は筑波山を見るのを楽しみにしている。 頂上は二つの峰に分かれている。その形が一番美しく眺められるのは、間々田と小山の間である。… 」深田久弥は著書『日本百名山』で筑波山をこのように紹介している。 昔から眺めている山だがこの本を読んで改めて美しい山容だと思う。 我が家の方向から見て毎年2月と11月に筑波山頂から日の出となる朝がある。 富士山頂からの日の出は“ダイアモンド富士”と呼ばれ、 それが見られる場所は日々移動するため web などで写真家向けに詳しく紹介されている。 そのような情報に頼らなくても、太陽が昇る方位を毎日コンパスで測り、 地図上の目的の山頂を原点とした方位線を引いてゆけばその頂上からの日の出が見える朝は自分でも予測できる。 筑波山や日の出は毎朝見ているがそれらが重なった時には何か神々しいものを特別に感じる。 |
関東平野の黄砂毎年2月になると強い西風に吹かれて乾ききった土が舞い上がり東の空が黄色くなる。 中国のゴビ砂漠の空も舞い上がった砂塵でこのように染まるのだろう。 関東平野の土壌は第四紀と呼ばれる約160万年から数万年前までの地質時代に古富士をはじめ榛名、赤城、日光連山などが噴火したときの火山灰が何層にも降り積もって形成された、いわゆる関東ローム層である。 もともと粒子の細かい土が霜柱によって持ち上げられ、さらに乾燥するこの時期には大変飛ばされ易くなる。 ゴビ砂漠の砂塵は偏西風に乗り黄砂となって日本にまで飛んで来る。 我が家周辺の土は遥か太平洋の沖まで飛んで行っているかもしれない。 |
水温立春が過ぎても異常な寒さで気象庁の長期予報は完全に外れたようだ。庭の池には厚さ1cm ほどの氷が張ったままである。 それでも金魚は氷の下をゆっくりと泳いでいる。 今朝の気温は −2.8℃、氷にドリルで穴を開けて温度計を差し込み氷のすぐ下の水温を測ったらちょうど0℃、池の底付近は +4.℃ であった。 水の比重は +4.℃ で最大になるからこの温度分布は冬の間ほとんど変わらないはずだ。 家の洗面所は市の水道水を使っているが水温を測ったら +7℃、台所で使っている地下10数mから汲み揚げた井戸水は +17℃ であった。 昨年の夏、水道水は +24℃ にもなっていたが井戸水は +18℃ であった。 水道の配水管は比較的浅いところに埋設されているため季節変動が大きいが地下10数m の深さでは地熱が極めて安定していることを示している。 ちなみに真夏の頃 +80℃ もあったソーラーパネルのお湯は +43℃ 、「い〜い 湯だな!」 普段あまり気にしない水の温度だが実際に測ってみると太陽の輻射熱、地球の地熱、 そして水や氷の物理的性質などが微妙に関係し合っていることが分かる。 |
コンパス(2)欲しかったものをやっと手に入れた子供のような気分である。 これは映画「アラビアのロレンス」の中でロレンスが持っていたものと同じような小型のコンパスだ。 折りたたみ式の照準器が上についている。 磁針の代わりに磁気を帯びた方位盤がケースの中でオイルに浮いているため安定性が良い。 方位盤には船舶用の羅針盤と同じように北からの角度(0〜360度)と四方64分割の2種類の目盛りが刻んである本格的なものだ。 照準器には8φほどの凸レンズがついていて目標物を狙いながら目盛りを拡大して方位を正確に読みとることができる。 ロレンスはナフード砂漠を越えてアカバ湾のトルコ軍を背後から奇襲して成功する。 その情報をカイロの英国軍に伝えようとするのだが通信設備が破壊されていて使えない。 しかたなく2人の部下と共にラクダでシナイ半島横断を決行する。 しかし、途中で砂嵐に遭い大切なコンパスを紛失し、さらに部下の1人が流砂に飲み込まれて命を落としてしまう … 。 あの強烈なシーンを思い出す。 どこで使おうか、アウトドアの楽しみがまた一つ増えた。 |
2006年1月-5月 M |
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