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Mさんのページ −多彩な趣味をもつ友人Mさんのページ−


自由研究 No.001-020


目次

No.020:半田ゴテ  No.019:模型飛行機  No.018:気象通報  No.017:たたみいわし  No.016:温室  No.015:ヨシ焼き  No.014:くさや  No.013:ポンポン船の謎  No.012:長い駅名  No.011:自然薯  No.010:1枚の写真  No.009:リサイクル園芸  No.008:新幹線のホーム  No.007:変な地名  No.006:働きアリ  No.005:グラスゴーの地下鉄  No.004:恐竜と鉄橋  No.003:繭と象形文字  No.002:ガガンボとジャイロセンサー  No.001:煉瓦造りの駅舎

半田ゴテ

 小学校5年生の時に初めて使った半田ゴテを今でも持っている。 父と近くの電気屋さんに鉱石ラジオの部品を買いに行った時にいっしょに買ってもらったものだ。 値段は300円くらいだったと思う。
 その頃の電気屋さんは『 ○○ラヂオ 』といった看板を掲げていて売るだけでなく故障修理もやっていた。 こうした街の電気屋さんでラジオの部品は手に入った。鉱石検波器、バリコン、並四コイル、コンデンサー、イヤホンなどである。 鉱石検波器は直径7〜8mm、長さ20mmほどのベークライトの円筒に方鉛鉱のかけらを入れ、 それをスプリングで押さえただけの構造であった。これでなぜ放送が聞けるのか不思議だった。 これらの部品を文房具店で買って来た版画用の板の上に並べ、木ネジで固定して配線する。初めての半田付けであった。 息を止めて震えるような手つきでコテを当てるとヤニの煙がスーッと立ち昇り半田がキラッと光って電線を巻きつけた端子のまわりに流れて付いたのを今でもはっきりと覚えている。 やがて半田ゴテで我が家族を養うことになろうとは当時は想像もできなかった。

半田ゴテの写真 初めての半田ゴテ

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模型飛行機

 ペーパークラフト機のキットを買って来た。 競技用機から超音速機までいろいろなデザインの主翼や胴体が印刷されたケント紙が15枚、 バランス用の鉛板、ゴムのカタパルトと解説書がセットになっている。外形線に沿ってカッターナイフで切り抜き、 セメダインを使って張り合わせていくだけである。航空力学的に非常に良く設計されていて左右の翼のねじれなどを微調整するだけで良く飛ぶ。 付属のゴムのカタパルトを使うと一気に加速されて主翼がブルッと振動して失速しやすいので手投げの方がいいようである。 60度くらいの角度で空に向かって投げると10m位まで上昇し、反転しながら機体を立て直して滑空に入る。 うまく気流に乗ると滞空時間が30〜40秒にもなり追いかけるのも大変である。
 飛行機は夢があっていくつになっても楽しい。 子供の頃から模型飛行機は数え切れないほど作った。中でもゴム動力機は特に多い。 昔のキットに入っている翼に使う竹ヒゴは曲げてなく真っ直ぐなままであった。最初の関門は竹ヒゴを蝋燭の炎であぶって曲げる作業であった 。設計図のとおりに曲げるのが難しく、水で濡らしながら炎にかざすのだが何回もやるうちに黒く焦がして折ってしまう。 これだけは父の手を借りたものである。いくつかの難関を突破して空高く飛んだ時の感動は何年たっても忘れられない。 次はどのデザインを作ろうか、しばらくは楽しめそうである。

ペーパークラフト機の写真1 追いかけるのが大変なほど飛ぶときもある ペーパークラフト機の写真2 色々な形が楽しめる

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気象通報

 長年積んだままになっていたダンボール箱を整理していたら古い天気図が大量に出てきた。 昔、登山の時にラジオの気象通報を聞きながら作成したものである。 テントを打つ雨の音、強風で揺らぐポール、 さまざまな思い出がしみ込んでいて何度も捨てようと思ったが捨てずにきたものだ。
 当時、毎日のようにNHKの定時放送を聞いて書き取る練習をした。 アナウンサーが日本列島を南から「南大東島では南々西の風、風力4、晴れ、13ヘクトパスカル(昔はミリバールだった)、 28度」という具合に順に読み上げていくのを聞きながら即座に天気図上に記号で記入する。 天気記号を覚えることはもちろん列島周辺の経度・緯度をしっかりと頭に入れておかないと放送に追いつかず書き漏らしてしまう。 予報するために気象の専門書も何冊か買って勉強した。おかげで気象庁の天気予報より良く当ったものだ。
 5月の連休の頃には台湾付近で発生した低気圧が急速に発達しながら前線を伴って通過する。 暴風雨のあと気温が急激に下がり、衣類を濡らすと体温が奪われ極めて危険な状態になる。 春と冬が同居しているこの時期には多くの登山者が遭難している。
 ラジオの気象通報にはずいぶんとお世話になった。 最近、テレビの天気予報はひまわりやアメダスのさまざまな画像を使って解説をするので分かり易く内容も楽しくなった。 特に“お天気お姉さん”になったのがいい。外れても、「まぁ、いいか」という気持ちになる。でも、 ラジオの気象通報は観測データを直接伝えるので興味深い。 今でも聞き流すだけで日本周辺の気象概況が頭の中にイメージできる。

天気図の写真 登山中にラジオの気象通報から作ったH4.4.30の天気図

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たたみいわし

たたみいわしの写真1

 人間とは何と残酷なことを、と思いながら袋から取り出してコンロの火であぶる。 「みんなで泳いでいたのにィ、いきなりすくい上げて四角いスノコで日干しにしやがって、海苔じゃあねーぞ!」 と 叫んでいるようである。3Dの絵でも隠されていないかなと思って1枚手に取って近づけたり、遠ざけたり、 寄り目をしたり、しばし見つめたが何も浮き出てこなかった。

たたみいわしの写真2 みんなで機嫌よく泳いでいたのに

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温室

 毎年鉢植えの植物を部屋の中で越冬させている。年々数が増えてそのうち人間様が追い出されそうな気配なので思い切って 2坪ほどのアルミサッシの温室を作った。部屋の中ならそこそこの環境で冬を越せるが温室の場合温度のコントロールが必要になる。 単に暖かくするだけではダメで植物に冬であることを感じさせないと春に花を咲かせない。植物の生態に合わせて最低温度と最高温度を 微妙にコントロールする必要がある。カタログを見ると¥を気にしなければいくらでもいい装置はあるが人間様が我慢しているのに そうはいかない。我が温室の空調システムは、
・夜間の保温:サーモスタット付温風ヒーター(Made in China)
・日中の換気:換気扇 2台を自作の光センサーで制御(太陽の高度によりON OFF)
・遮光:農業用のネットを利用(葉焼け防止と最高温度のコントロール)
 完成後、数週間かけて温室内の各ポイントの 温度を測定しながらサーモスタットと光センサーを調整した。投資額を考えると花屋さんで買って来た方が はるかにいいと思うが苦労して越冬させた植物には愛着が湧く。例年になく寒い冬であったが蘭の花が咲きだした。

温室と植物たちの写真 自作の温室空調システムでこの冬を無事越した植物たち

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ヨシ焼き

 日本最大級といわれる渡良瀬遊水地のヨシ焼きを見に行った。我が家は渡良瀬遊水地の10kmほど北東に位置するため ヨシ焼きが始まると上空は雷雲のように真っ黒な煙で覆われ、降灰で洗濯物などは干せなくなる。8時30分にヨシ原の何箇所かで 火がつけられものすごい勢いで燃え広がった。風向きが変るたびに火があちこち暴れ回る。堤の上にはアマチュアカメラマンなど大勢の 見物人が集まるが風向きによっては真っ黒な煙に巻かれる。地元の消防団や警察が監視しているので安全ではあるが津波が 押し寄せる海岸の光景を思い出した。(2005年3月27日朝)

ヨシ焼きの写真1 迫力のヨシ焼き ヨシ焼きの写真2 見物人も煙の中にに

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くさや

 南伊豆を旅行した時に下田漁港で買った真空パックのくさやを食べることにした。臭いは押さえてありますと書いてあるが 取り出すとやはりくさやである。くさやの名前はこの臭いに由来しているのかと思っていたが調べるとそうではなかった。昔、 流人が持ち帰った干物に江戸の乾物問屋『くさや』の主人が目をつけ、大量に仕入れて”くさやの干物”として売り出した。 それが後に“くさや”となったとか。店の名前が商品名になったのである。
 2〜3月が旬の“春トビ”の一夜干しは絶品である。 何年か前に仲間とこれを目当てに八丈島まで行った。民宿の部屋にただよって来る臭いで、「おっ!もうすぐ夕食だ、ゴクリ」の 思い出がある。
 日本酒をふりかけて焼くと“風味”が増すとの説明書きがあり、それに従う。隣の家までは十分な距離がある から換気扇から発散させても被害は出ないだろう。世界チャンピオンはスェーデンのスールストロミングで、缶詰を開けただけで 近所中が逃げ出すそうである。焼きあがったくさやを肴にビールをグビリ、噛むほどにあの“風味”が口から鼻腔へ抜ける、 フヌ〜ッ。家族からはひんしゅくを買った。

くさやの写真 美味しさと一緒ににおいも伝わってくる

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ポンポン船の謎

 旅行先で立ち寄った民芸品の土産物屋に昔懐かしいポンポン船が並んでいるのを見て思わず買ってしまった。 船尾に突き出た2本のパイプからストローで水を入れ蝋燭に火をつけて浮かべるとポンポンと軽快な音を響かせて走り出す。 舵をうまく調整すると水面に弧を描いていつまでも走り続ける。今の舵はプラスチック製だが昔は小さなブリキ板がチョンと 半田付けされていて何回か曲げるとすぐに外れてしまった。よく近くのブリキ屋さんに持って行って直してもらったものだ。
 ところで未だになぜ走るのかが良く分からない。子供の頃父に聞いたら水が熱せられて蒸気になりシューッと噴き出す反動で 走るのだと説明され何となく分かったような気持ちでいた。今までそう思っていた。しかし、よく考えるとそれでは1回シューッと 走りそれっきりで止まってしまうはずである。見ているとポンポンと毎秒4〜5回小刻みに水を吐いたり吸ったりしながら 蝋燭の火がついている限りいつまでも走っている。船の中を見ると2本のパイプは傾斜した金属性の皿につながっていて、 皿の上には薄い金属板が張られている。その中で発生した蒸気が微妙に振舞っているようである。その理屈は、 http://www.asahi-net.or.jp/~uu9m-hrt/pon1/pon1.htmなどを見ると詳しく解説されている。
 水面をポンポンと走る船を見ていると理屈などはどうでも良く、何とも楽しい。どこかで父も笑っているような気がする。 「 ポンポン船 遠い昔の 夢乗せて 」

ポンポン船の写真1 ローソクの炎でいつまでも走り続けるポンポン船 ポンポン船の写真2 船底にある2本のパイプと中にある皿に推進力の秘密があるらしい

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長い駅名

 鉄道好きのT-1さんが福島県を旅行した時に乗った阿武隈急行の写真を何枚か送ってくれた。 その中の「やながわ希望の森公園前」駅の写真を見て長い駅名だなぁと思いながら気になって時刻表を調べたら、 九州の南阿蘇鉄道にもっと長い「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅(22文字)を見つけた。このことをKさんに話したところ、 日本一は島根県の一畑電鉄の「ルイス・シー・ティファニー庭園美術館前」駅の23文字であると教えてくれた。
 ちなみに世界一はウェールズの ”Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwll Llantysiliogogogoch”駅、 読みは「スランバイルプフルグウィンギフロゴゲールクウィルンドロブフル スランティシリヨゴゴゴク」駅であるそうだ。 本当かと思い本棚から全英時刻表を引っ張り出して探したら確かにあった。あまり長いので”Llanfairpwll”と略して 記載されている。ウェールズ語でその意味は「赤い洞窟の近くに立つ聖ティシリオ教会のそばの渦巻く急流に接した白い ハシバミの咲く窪地の町の教区にある聖メアリー教会」であるとか。
 話は長くなるが、タイの首都「バンコク」は外国向けの 名前であって正式にはタイ語で、 「クルンテープマハーナコーンポーウォーンラタナコーシンマヒンタラーユタヤーマハーディロクポップノッパラッタナラーチャターニー プリーロムウドムラーチャニウェートマハーサターンアモーンピマーンアワターンサティットサッカティッティヤウィサヌカムプラシット」 と言い、アルファベットで表記すると、
 "Krungthepmahanakornamornratanakosinmahintarayutthayamaha
dilokphopnopparatrajathaniburiromudomrajaniwesmahasatharnamo
rnphimarnavatarnsathitsakkattiyavisanukamprasit”
その意味は「天使の都、偉大な都、エメラルドの仏陀の住む都、インドラ神の住む信仰篤きアユタヤの都、 9つの宝石を授けられた世界の大いなる都、神の化身が住まわれる天国の様な固き王宮の幸多き都、 インドラ神によって与えられヴィシュヌ神によって造られた都」であるそうだ。「えーっと、〜 〜 ‥‥ までの切符を下さい」ふ〜っ 疲れた、寿限無も真っ青!ちなみに、通常タイの人は「クルンテー」 “Krung Thep” と略して言っているそうである。
参考資料
JR時刻表 (株)交通新聞社
NATIONAL RAIL TIMETABLE  Benham & Company Ltd.
http://www.englisch-hilfen.de/en/texte/llanfair.htm

駅名表示板 鉄道好きのT-1さんから届いた写真 世界一長い駅名の切符 世界一長い駅名 時刻表 時刻表では”Llanfairpwll”と略されている

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自然薯

 昨年の夏に垣根に山芋の蔓が這い上がっていたのを思い出し、垣根の根元の枯葉をかき分けて探したら芋の先端を 2つ見つけた。もう何年となく同じ所から蔓が伸びていたので芋も相当大きくなっていそうだ。
 山芋は全部を掘り出すのは 大変難しくけっこうノウハウがいる。まず芋の横に大きめの穴を掘る。芋の周りの土をその中にかき落しながら、ちょうど化石を 発掘する時のように芋の本体を丁寧に露出させて行く。絶対に引っ張ってはいけない。我が家周辺は地表から30〜40cm までは黒土で、その下は関東ローム層と呼ばれる粘土質の赤土になる。大体この辺でポキッと折れてしまいその先が掘り出せ なくなってしまう。慎重に堀って行ったら70cmもある見事な山芋が2本とれた。いわゆる自然薯である。
 この大きさから想像する に2〜3年は経っていると思われる。特に赤土の中で何年も育った自然薯は餅のように粘りがあって味もいい。 すり鉢でゴロゴロ、ゴロゴロ、そこに生卵を落とし、たっぷりの鰹節でダシを取った汁を入れて軽くゴロゴロ、最後に焼き海苔を きざんで振って出来上がり。これにマグロの赤身、酒は誰がなんと言おうと熱燗の日本酒、漬物はタクアン。掘った時の 苦労を思い出しながら、やまかけマグロでチビチビ、熱いご飯にかけて一気に(この一気がなんとも言えない)ズーッズッ、 パリパリ、‥‥ 。幸せだなーと思うひとときである。昔、父も近くの雑木林で掘ってきた自然薯を楽しそうにすり鉢でゴロゴロと やっていた。小皿に盛って仏壇にも供えた。芋の上部を20cmほど切り取って土の中に埋め戻しておいた。その芋から芽が出て 何年か後にまた楽しめる。

自然薯の写真 70cmもある自然薯を収穫

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1枚の写真

 父は写真が好きであった。よく夜中に押入れの中に閉じこもり自分で撮ったフィルムを現像して印画紙に焼き付けていた。 翌朝風呂場に行くと水をはったタライに沢山の写真が浮かんでいたのを覚えている。そんな父の影響を受けたのか自分も 子供の頃から写真はよく撮った。ただ、人物や普通の風景にはあまり興味が無く生物の生態や自然界の物理現象などが 主な被写体であった。
 当時テレビの大相撲中継では力士の動きを再現する時にスチル写真をパラパラと送る“分解写真” と呼ばれる方法が使われていた。これを見て動きが何とか1枚の写真に撮れないものかと考えた。その末に、カメラのシャッター は開放にしておき穴の開いた円盤をレンズの前で回転させシャッターとして使う方法を思いついた。ボール紙で直径20cmの 円盤を作り、外周に2cm径の穴を4ヶ所あけて表面を黒く塗装、それをマブチモーターの軸に取り付けカメラと共に三脚に 固定した。手始めにピンポン球を弾ませ空中の軌跡を撮ることにした。今ならデジカメを使えば撮った写真はすぐ見られるが 当時はそうはいかない。照明の電球を廊下に並べ、円盤の回転スピードやカメラのアングルを変えながら何枚も撮って現像 しそれを見ては調整する。確か36枚撮りのフィルムを3〜4本無駄にしたと思う。その中の1枚である。1963年『子供の科学』 の写真コンテストで見事最優秀作品に選ばれ副賞としてコニカのEEカメラをいただいた。
 その後、羽ばたく鳥や水面に落ちる 水滴などを試みたが露出の調整がどうやってもうまく行かず全て失敗に終わっている。1眼レフカメラなどは高価で手にすること も出来ず、ましては連続発光するストロボなどはどこにも無かった頃である。記念に保存している『子供の科学』を見たが今でも よく撮れたものだと思う1枚である。

放物線写真 会心の放物線写真
写真の掲載号の写真 賞品のコニカEEの写真 写真の掲載号と送られてきた賞品のコニカEE

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リサイクル園芸

 グラスゴーの街にはいくつも公園がありいつ行っても綺麗に手入れされていた。樹木の刈り込みの時に見ていたらシュレッダー車が来て切り落とした枝や葉を細かくチップにして全て樹木の根元に撒いてしまう。集めて持ち帰るのは人が捨てたゴミ(モラルの高い 国民とはいえ誰も見ていないと意外にポイとやる)だけであった。春になると朽ちたチップの下からクロッカスやスイセンがいっせいに 芽を出して花を咲かせる。
 そのことを思い出して小型の園芸用シュレッダーを買った。新聞の通販広告で見たもので3cmくらいの太さの枝まではチップにしてしまう能力がある。欠点は高速で回転する刃がすぐに切れなくなってしまうことである。特殊な形状を していて普通の砥石でも研げば出来ないことはないが難しい。結局通販で電動砥石も買ってしまった。垣根や庭木の刈り込みは 殆ど自分でやる。以前は切り落とした枝や葉は枯らして庭の隅で燃やすか清掃センターに運んで焼却してもらっていた。シュレッダー でバリバリとチップにして土に返すのは京都議定書の一翼を担っているようで気分がいい。今年も庭の片隅で福寿草が枯葉の 下から芽を出し、花を開かせた。でもバリバリやりながら思う。このシュレッダーを生涯使ってもチップ化で押さえることができる炭酸ガスの量は生産工場で排出された1台当りの炭酸ガスの量にはとても追いつかないかもしれない。

シュレッダーの写真 シュレッダー 福寿草の写真 福寿草 クロッカスの写真 クロッカス

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新幹線のホーム

 小山駅から東京駅まで通勤で新幹線を利用している。朝の7時台はほぼ10分間隔で運転され小山駅での乗車率は 8割から9割にもなる。東北新幹線のドル箱区間のようだ。遠くは新白川や那須塩原あたりから東京へ通勤している人も いる。時速200Km以上のスピードで毎日移動する、一昔前では想像もできないことである。便利な時代になったものだ。
 毎日利用しているといろいろと気になることが目に留まる。そのひとつがホームの乗車口表示である。車種に応じて異なる 位置に何箇所も表示されていて、列車が来るたびに構内放送で「次はマックスやまびこ○○号××行きです、ご乗車の お客さまは△△表示のところに並んでお待ち下さい‥」と案内する。しょっちゅう利用している人は放送を聞くまでもなく 所定のところが分かるがたまにしか利用しない旅行客などには分かりにくい。およそ良く注意しないでに先にいた人の後ろに 並ぶから外れたら悲惨で列車が停止してから慌てて移動する。すると当然列が乱れる。東海道新幹線では見られない光景である。東北新幹線には山形行き「つばさ」、秋田行き「こまち」、八戸行き「はやて」、盛岡行き「やまびこ」、郡山行き「なすの」 などいろいろな型の列車が走り見ているだけで楽しいが乗車口の位置くらい統一して欲しかった。困ったものである。 (1利用者の声) 

個性豊かな新幹線の写真 乗車口の見極めが難しいプラットホームの写真 個性豊かな新幹線、しかし乗車口の見極めが難しい

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変な地名

 アムステルダムにいる知人が本を出したというので早速買って来た。
『 物語オランダ人 』(文藝春秋) http://www.trc.co.jp/trc/book/book.idc?JLA=01034313 彼はメカトロニクスのエンジニアで古い飲み友達である。10数年の現地での生活を通して彼の目に映った オランダ人の気質や生活習慣を軽いタッチで紹介しており一気に読んでしまった。中で面白い名前の海岸と そこに集まる人々のことを紹介している。デン・ハーグの海岸 "Scheveningen" である。以前酒を飲んだ時に 世界の変わった地名の話題で盛り上がったことを思い出して改めて世界地図を開いて地名と場所を調べてみた。 その一部を紹介する、
Eromanga島   バヌアツ共和国の島
鏡泊湖      中国 長春の東方約300Kmにある湖
Onalaska      http://www.cityofonalaska.com/
Silifke        キプロス島の北、地中海沿岸のトルコの町
いずれも日本語読みでたまたま別の意味になっただけであるが酒の肴にはいいネタである。 まだまだあるがこのページの品位を損ねるので他に譲ることにする。

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働きアリ

 爪を切って庭に捨てたらアリが見つけて運んで行ってしまった。巣穴のところまで追いかけて見ていたら 穴より大きな三日月型の足の爪を中に一生懸命運び込もうとしている。そのうち皆で何やら相談して (そう見えた)穴の周りを掘って広げだした。仲間にこのことを話したら、Kさんは、彼の叔父さんが 自分の爪をアリが運んで行くのを見て心配になって医者に診てもらったら重度の糖尿病であることが分かった。 爪が甘いのかもしれないから健康診断を受けたほうがよいと忠告してくれた。Tさんは、自分の爪も同じように 運ばれて行ったがその後巣穴から出されて周りに全部捨てられているのを見た。巣穴の中で働きアリは上官に 「そんなものが食料になるか!」と怒鳴られてすごすごと運び出したようだ。人間の爪はアリの食料にはなら ない、そのうち返品されるよ、ともっともらしい話をしていた。
 先日人間ドックの結果を見たが血糖値は正常で 糖尿病の心配はなさそうだし、私の爪はその後返品された形跡もなかった。Tさんの場合は多分悪性の水虫にでも 汚染されていたのだろうとかってに想像している。そんなものを与え続けたら人間の味を覚えてアリが襲ってくる から、 と家内は心配している。

働きアリの写真 働きアリ

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グラスゴーの地下鉄

 かつて造船で栄えたスコットランドの街グラスゴーには一風変わった地下鉄が走っている。トンネルの 内径はロンドンの地下鉄の半分位しかなく遊園地で見るようなかわいい電車が猛烈なスピードで走っている。 小さいのでそう感じるのかもしれない。
 1892年に完成、一周約20Kmの環状線で100年以上経った今も市民の足として活躍している。現在は電化されたが 創業当時は蒸気機関を動力として走っていたそうで市の交通博物館に行くと当時の様子を知ることが出来る。 ロンドンの地下鉄は煙を少なくするためコークスを焚いた蒸気機関車が牽引していたことはよく知られているが グラスゴーの地下鉄はケーブルカーであった。地下の線路の間に張られたケーブルを地上にある強力な蒸気機関で 駆動する方式で、列車の運転手は運転席から機械操作でケーブルをロックして列車を走らせ、駅に近づくと ロックを外してブレーキをかけて停車させていた。何台もの列車を走らせるための蒸気機関は巨大なもので シリンダー径は40インチ、フライホイールの重量は約80tもあったそうだ。
 St.Enock地区のパワーハウスと 呼ばれる建物に蒸気機関は設置されていた。電化された今はこのパワーハウスは蒸気機関と共に取り壊されて しまった。階段がエスカレータに変わったSt.Enock駅の地下への入り口の横には石造りの駅舎が残され当時を 忍ばせている。“蒸気機関で地下鉄を走らせる”、当時としては最先端の技術だったようだ。

グラスゴーの地下鉄の写真 車内の写真 グラスゴーの地下鉄とその車内
St.Enock駅旧駅舎の写真 模型の写真 St.Enock駅旧駅舎と当時の牽引ロープと滑車の模型

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恐竜と鉄橋

 スコットランドの首都エジンバラの駅からダンディに向かうと列車はヒースの生茂る丘陵地帯を抜けて突然海の上に出る。 北海に広がるフォース湾が眼下に広がり空中を飛んでいるようだ。列車はゴンゴンとものすごい音を響かせて渡って行く。 この鉄橋は“フォースブリッジ”。英国最大の鉄道橋で1883年から7年の歳月をかけて建造された。 形式はゲルバー・トラス橋、橋塔間は521m、高さは105m、今も現役である。海上で下を船が航行するため高くする必要があり、 当時としてはこの構造が最先端の技術だったようだ。自重を支えるために鉄骨が太くなりそれでまた自重が増えた。 別名“鋼鉄の恐竜”と呼ばれている。恐竜博で見たセイモザウルスの骨格そのものである。恐竜もこの鉄橋と同じように 背中を高くして強靭な筋力で重たい頭部と尻尾を水平に保ってのっしのっしと歩きまわっていたようである。
 近年、橋は構造力学と素材の進歩で細く大変スマートになってきた。一方、恐竜はどこにもいなくなってしまった。 その訳として、6700万年前の巨大な隕石が衝突した原因で気候が急激に変わり、それに順応できずに絶滅したという説とか、 鳥に進化したという説 http://www.asahi.com/dino2005/などいくつかある。 どうもそうではなく、増え過ぎた体重と異常な体型で歩き回るのがいやになりゴロゴロしていたら足が退化して大蛇になってしまった という説が最も有力である。(Mさんの新説)

フォースブリッジの写真 フォースブリッジ セイモザウルスの写真 セイモザウルス

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繭と象形文字

 葉が落ちきった柿の枝で越冬中のイラガの繭を見つけました。表面に綺麗な模様がついていますがこれは鳥の糞を 模した擬態だそうです。冬場に餌が無いとはいえ野鳥も自分の糞までつつきませんから。ところで、繭は英語で"cocoon" (このタイトルのSF映画がありました)、文字を見ていると何となく丸くてコロコロしたようなイメージです。 英語にも象形文字があるのでしょうか。「目:eye 」や「うなぎ: eel」などを見ているとそう思えて来ます。 探すとさらにありそうです。象形文字といえば古くはシュメール文字、代表的なものではエジプト文字や漢字があり、 変わりダネでは「トンパ文字」なるものもあります。
http://www.chokanji.com/tompa/list/index.html ダイレクトな表現で見ていると楽しくなります。でも書くのに苦労しそうです。 電子メールでも感情を伝えるのに絵文字がよく使われますがその元祖でしょうか。v(^o^)/~

イラガの繭の写真 イラガの繭

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ガガンボとジャイロセンサー

 蚊のジャンボ機みたいなガガンボが壁にとまって羽を休めていました。よく見ると羽の後部に小さな左右一対の先に重りのついた 木琴を叩く棒のようなものがついています。航空工学の本によるとこれは飛行中の姿勢を制御するためのジャイロセンサーだそうです。 飛行中に胴体と直角な面で振動させ、胴体の方向が変わると振動面に直行する方向に発生する力を検出して姿勢を安定させている、 と解説していました。残酷なようですが試しに片方の棒をハサミで切り取ったら故障したヘリコプターのようにフラフラと飛んで行きました。 (ゴメンナサイ)
 最近の旅客機はジャイロセンサーの精度が向上して乗り心地が大変良くなりましたが、 航空機が現れるはるか昔からガガンボはジャイロセンサーを使って飛行していたとは驚きです。
参考文献:「飛行と生き物の力学」 東 昭(あずまあきら)著 日経サイエンス社

ガガンボの写真 ガガンボ

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煉瓦造りの駅舎

 毎日乗り降りしているJR宇都宮線間々田駅にの1番線ホームの片隅にポツンと建っている煉瓦造りの小屋がふと気になって 調べてみました。
 この小屋はランプ小屋と呼ばれ、灯油ランプの信号を使っていた時代に灯油をはじめ信号器具を保管 していたそうで、今も危険物保管庫として使われています。現在、ランプ小屋が残っている駅は少なくなりましたが当時は各駅 にあったようで煉瓦の積み方にも職人さんの気質がうかがえます。宇都宮線を北上しながら年代と煉瓦の積み方を調べてみると、
間々田駅:1896年 破り目地積み 
氏家駅:1896年 イギリス積み
片岡駅:1896年   〃
野崎駅:1897年   〃
 東海道本線は調べた限りでは藤枝駅にあり1889年創建でフランス積み、大変趣のある 煉瓦小屋です。ちなみに現在の東京駅の駅舎は単純な破り目地積み。東京駅はアムステルダム駅をお手本にしたと 言われていますが気になって現地の知人に問い合わせたら、http://www.metselen.net の Verbandenのページに紹介されている"Kruis"であると教えてくれました。 いわゆるイギリス積みです。東京駅は1914年に建てられたが戦災で原型を著しく損ない改修したそうです。その時に積み方も変った のでしょうか。もう少し美的感覚を取り入れた方が良かったのでは、と思います。

藤枝駅の写真
美しいフランス積みの藤枝駅旧ランプ小屋<写真の拡大>

2005年2月-4月 M

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